源氏物語は世界によく知られた作品ですが、英訳された源氏物語を更に日本語訳にしたのが「ウェイリー版・源氏物語」です。
青海波はブルーウェーブス。
几帳はカーテン。
光源氏はシャイニング・プリンス。
全く別の話のような感じもします。
英訳された話を再翻訳を「戻し訳」というより「らせん訳」として考えて行きます。
戻すというのではなくて螺旋のように同じところのようで少し違う地点に辿り着いているという事になります。
各回の感想と考察を書いています。
目次からジャンプできますのでどうぞ。
書籍情報
今回のテキスト
今回の底本
また違う翻訳者のウェイリー訳
第1回 翻訳という魔法
【初回放送】2024年9月2日(月)
今からおよそ千年前に紫式部によって書かれた「源氏物語」。それから900年後、イギリス人のアーサー・ウェイリーが英語に翻訳した。「帝」はエンペラーに、「宮廷」はパレスに、「物の怪」はエイリアンに…巧みに翻訳された物語は、まるで異国のおとぎ話のように生まれ変わり、世界に「源氏物語」が知れわたる大きなきっかけとなった。そこには、ウェイリーによるどんな技術や技が駆使されていたのか? 第一回は、天才的な翻訳者アーサー・ウェイリーの人となりにも迫りながら、翻訳という魔法によって、いかにして「源氏物語」が世界的な評価を受けるような文学となっていったかを探っていく。
マルチリンガルだったウェイリー
源氏物語を100年前に英訳してしまったウェイリー。
日本語でも難解な源氏物語を元の話を崩さずに理解し英語に変換したウェイリー。
実はこの時点で日本に行った事もなければ、日本語を元々知っていたわけでもなく、大英博物館に勤務していた時に出会ったから習得したというレベルだというのです。
当時の大英博物館は世界中の資料が集まってきた知識の宝庫であった事は想像できますが、これを理解できるとなれば話は変わってきます。
テキストに書いてあったウェイリーが理解できたと言われる言語を一覧にしてみましたが、これ以外に中国語などのアジアの言語も分かったと言います。
わざわざ「習得した」とされる言語はラテン語、ヘブライ語、サンスクリット語という神学的な言語が多く、宗教にも深い知識があったのではないかと想像できるほどです。
ウェイリー版・読みやすい理由
英語に翻訳される時に英語の文体として無視できないのが「主語」があるという事です。
これは確かにそうですね。
源氏物語で分かりにくいのがとにかく、誰の事かどの方面から言っているのかが非常に分かりにくい事です。
ですが、ここで日本語の場合は分からないこそのニュアンスや読者に対して想像を書きたてる部分もあります。
主語をはっきりさせることで読者は余計な考えから解放されて素直に読めるというメリットも多いのです。
他に「敬語がない」事や「年代記をおとぎ話が混在」している事も指摘されました。
欧米風にアレンジ
源氏物語は平安時代のお話です。
これをそのまま英訳しても何のことかよくわからないというのも確かです。
「験者」(げんさ)と言われても今の日本人でもなかなか分かりませんが、これを「エクソシスト」とする事で「何か憑りつかれたものを祓う人かな?」と想像できます。
「物の怪」(もののけ)は何と「エイリアン」とする事で「何か異質なモノ」と想像する事が出来ます。
かなり、ぶっ飛んだ英訳ですが、確かにこれならよく分かります。
登場人物の名前でどんな人か分かる!
光源氏がシャイニング・プリンスという事で輝いている王子さまとなるわけです。
帝はエンペラーになると「皇帝」という意味になるわけですが、この時点で一番偉い人。
更衣はワードロープのレディとする事で帝の着替えなんかを手伝っていた人かな?と想像できます。
女御はベッドチェンバーのレディなので帝の夜の御勤めをしていた人かという事も分かります。
大貴婦人はグレート・レディーズです。
余計な説明が必要なくなりますね!
何と名前だけで、どういう人か想像できます。
感想
大英博物館に勤務していて10か国以上の言語に通じていたというウェイリー。
何と、源氏物語に出会った時点では日本に行った事もなければ、日本語に触れた機会もなかったというのですから、短期間で日本語を習得して日本語を母国語とする人達よりも深い理解をしていたという事になります。
源氏物語に限らず、古典でややこしいのはとにかく「主語」が分からない事です。
そして、更なる難点は主語が分かったところで「誰か」が分かりにくい事です。
これはそれぞれの登場人物がその時の立場で変わったり、単に「男」とか「女」で表記される事もあるからです。
主人公でさえ、「光源氏」という名前の他に、「光る君」「第二皇子」「近衛中将」「内大臣」「六条院」「準大上天皇」など役職や官位によっても色んな呼び方があります。
これらをどれが誰であると読者に分からせるというのは至難の業です。
専門家でも意見が分かれることもあるというくらいですから、これをサッと出来てしまったウェイリーがどれだけの天才であったかという事です。
ただただ、すごいなあと思いつつ、「桐壺の更衣」が「ワードロープのレディ」なんて言われると全く違う国の話のようで思わず笑いがこみあげてしまったのは私だけではないと思います。
イギリスの大英博物館の学芸員だったというウェイリー。
たくさんの資料を読み込むためにマルチリンガルになっていったという事なのだと思いますが、それにしても大変優秀な方だったのでしょうね。
こんなすごい翻訳が更に日本語訳になるという面白い趣向は今後も楽しみです。
第2回 「シャイニング・プリンス」としてのゲンジ
【初回放送】2024年9月9日(月)
ウェイリーの「源氏物語」英訳をみていくと、数々の女性遍歴は単なるラブロマンスではなく光源氏が、自分の中や他者の中に潜在していた未知なる能力や感覚の扉を開き、全く異なる人生を歩んでいくきっかけになっていることがわかる。とりわけ、光源氏はが「コンパッション」(相手の苦しみなどに深く共感する能力)、「エンパシー」(相手の立場にたって能動的に他者理解する能力)、「来し方行く末を見る能力」(過去と未来を洞察する能力)を段階的に手に入れていき「神性」を帯びていく様子が浮かび上がっていく。第二回では、「ウェイリー版・源氏物語」を人間の可能性を豊かに変容させていく物語として読み解いていく。
ウツセミとユウガオ
今回出てくるのはウツセミ・ユウガオです。
相も変わらず源氏物語ではなくてアラビアンナイトのような手法です。
放送時のイラストもアラビアンナイトのようなので余計にそんな感じがします。
ここでウツセミは人妻で一夜をちぎる事になるのですが、日本版の「空蝉」では光源氏を拒む女性として描かれます。
でも、ウツセミはちょっと違います。
ゲンジとの恋を何度も邂逅し、こんな身分の人と私が結ばれてしまった事を申し訳ないというような感覚でいるというのです。
この時代は人妻との逢瀬にあまり不道徳さは関係なくて、身分の高い人ゲンジと受領の妻(普通の貴族)であるウツセミという「身分違い」である事の方が重要であると指南役の安田さんは言います。
この見解は私としては初めて感じた感覚でした。
ちょっと意外でしたね。
これならウツセミはゲンジには惹かれていた。
しかし、身分違いだから、恐れ多いと思っていたという関係になります。
でも、これもちょっと変ですね。
源氏物語では空蝉は源氏の手を逃れますが、その代わりに義理の娘の軒端荻(のきばおぎ)は源氏と結ばれるわけですから。
(まあ、その関係も、間違いだったと相手に言っては失礼なのでとりあえず結ばれるというかなり非道な話でもあるのですが…)
ユウガオはどんな人?
ユウガオは行きずりの女性で自分の言葉もあまり発しません。
ここでユウガオは呪い殺されてしまいます。
ここで呪い殺したのは六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)というのが大方の見方です。
でも、英語では主語を明らかにしなければならないために「背の高い女性」と書かれます。
日本語でも呪い殺したのは誰かというのは明確にされていないのでこれはなかなか面白い書き方だと思います。
「背の高い女性」であれば、特定の誰かでもその屋敷にとりついていた幽霊であってもあり得るからです。
この場面の呪い殺したのは誰か?という問いに「誰か分からない」というのが正解だと思うのですが、英語に落とし込むことでこれは面白いと感じました。
スエツムハナには興味がない?
スエツムハナの下りも、そもそもゲンジが興味があったのは門番をしていた老人だというのです。
源氏物語の末摘花は没落した貴族で世間知らずのお嬢様みたいな感じで描かれます。
お世辞にも美人と言えず、源氏の君にも一応、愛人の一人として面倒を観てもらうもののそのうち忘れられてしまうという何とも扱いが可哀想な女性です。
その女性に興味があったのはそもそもの門番の老人でそれもそれ以前にワカムラサキと出会っていたからこそ気が付いたというような感じで英語版でもスエツムハナは幸せな女性とは言えないように思いました。
話は須磨にも行きます。
ゲンジは兄・スザクの嫁になるはずのオボロヅキヨと関係を持ってしまった為に都から離れた須磨に流されます。
都落ちという感じなのですが、ゲンジの父のキリツボがまるで海神ポセイドンのように現れてスザクに対してゲンジを許せというのは大笑いしました。
確かに、死んだはずの父が息子を救うためにもう一人の息子を諫めるわけですから、化けて出るよう感じですね。
同じ話のはずですが、視点を変えるだけでまた違う見方もあって今回も面白かったです。
「空蝉」「夕顔」「末摘花」
日本でもおなじみの物語がどんどん変わっていきます。
でも、本筋は変わっていなくてむしろ分かりやすいという面白い展開になってきました!
第3回 『源氏物語』と「もののあはれ」
第3回 『源氏物語』と「もののあはれ」
【初回放送】2024年9月16日(月)
「もののあはれ」を主題とするといわれる「源氏物語」には、言語化不可能な「情動」に突き動かされ翻弄される人々が次々と登場する。「もののあはれ」とは、「ああ……」と感嘆するしかないような心の動きを描くときに使われる動的な言葉だが、同時代の「枕草子」では「おかし」という言葉が多用され、心の動きは言語による静的な説明に置き換えられていく。前者は「情動」、後者は「感情」と言い換えることができるが、光源氏とその周辺の登場人物は、圧倒的に「情動」によって突き動かされて、物語を駆動していくのだ。第三回は、「ウェイリー版・源氏物語」の印象的な場面を読み解き、人間にとって「情動」と「感情」はどう違うのか、それらはどう働くものなのかを明らかにしていく。
「あはれ」って何?
「あはれ」というのは「あわれ」と発音します。
源氏物語の中では1000回以上使われる言葉です。
何となく使われて、多様される言葉ですが、これはそのシーンごとでニュアンスが違うわけです。
これを英訳する時点で面白いのはウェイリーが感じ方をそのまま英訳している事です。
日本語だったらどうでしょう?
このニュアンスが読者に委ねられるわけです。
面白いウェイリー訳が紹介されていたのでちょっと拾ってみます。
「ウェイリー」の「あはれ」の翻訳
「同情心」「哀れ」「ロマンティック」「パセティック」「メランコリー」「静かで清らか」「怪しく騒ぐ」
他にも色々あるのでしょうね。
素晴らしいと思うのがこの感覚が遠くイギリス人のウェイリーが日本人の心を受け取っているという事ですね。
「あはれ」と「をかし」を伊集院さんが面白い表現をされています。
「あはれ」=エモい(自分の中のモノ)
「をかし」=ヤバイ(相手への表現)
倫理が変化する?
時代の変遷で倫理が変化するというのです。
仏教的にはNGである。
また、明治以降では皇室スキャンダルなのでNG。
更にウェイリーの国のイギリスはキリスト教国なのでやっぱりNG。
でも、心の描写が描かれるという事で心に響くという事でこの本の出版を社長に談判したという話も紹介されました。
ここで特に「空蝉」「朧月夜」「藤壺」の3人の女性が紹介されます。
・空蝉(ウツセミ)=人妻
・朧月夜(オボロヅキヨ)=兄の婚約者
・藤壺(フジツボ)=義母
どのパターンも今では炎上する案件です。
ただし、こういう事があるからこそ物語になるという事でもあると言われます。
呪い殺したのは誰???
今回は六条御息所(レディ・ロクジョウ)と葵上(プリンセス・アオイ)の車争いの後に葵上が呪い殺される話です。
原作を知らないと意味が分からないので軽く解説しておきますとレディ・ロクジョウはゲンジの愛人。
プリンセス・アオイはゲンジの本妻です。
賀茂祭(カモ・フェスティヴァル)で源氏の踊りを見に行った二人は車の中からその様子を見るのですが、その従者たちが「本妻だ、愛人だ」と争いをしてしまいます。
これはロクジョウとアオイが直接争ったわけではなかったのですが、ロクジョウの車は壊され奥の方に押し込められています。
ゲンジは本妻のアオイに気が付いて会釈しますが、ロクジョウの事は気づかずスルーします。
そののち、アオイは出産後なくなってしまいます。
この時に呪い殺されたのでは???というのが今回のお話です。
ロクジョウは呪い殺していない?というのがウェイリー説です。
これは面白い展開ですね。
答えを言ってしまうと源氏物語の原文は「主語」が抜かされるために葵上を呪い殺したのは誰か言及されているわけではありません。
ただし、物の怪を祓うための「香」の臭いがしたり、六条御息所が葵上を殺す夢を観たりするので六条御息所だと言われています。
ここで主語をウェイリーはロクジョウがアオイを呪ったのではないと前置きしたのちに悪霊がアオイを殺したと言及します。
ですが、世間で「アオイを殺したのはロクジョウの呪い」であるという噂があるという事も描きます。
これは非常に面白い展開ですね。
飽くまでアオイを殺したのは悪霊であるとしたうえでロクジョウがやったと噂されているという状態です。
物の怪の正体が「悪霊」そのものではなくて自分の思いが生み出した無意識ではないかというのです。
ここでウェイリーの時代にフロイトの無意識という概念が発表された事も紹介されます。
フロイトの「無意識」という意識は100年前の概念なのですが、何と源氏物語では1000年前にこの概念があったとすればそれは面白いですね。
100分de名著~夢判断~フロイトもどうぞご覧ください。
能の葵上は死なない?
今回の講師は能楽師の安田登さんです。
能で演じられる葵上は死なないというのです。
これは六条御息所は怨念となって現れますが、法力の強い僧によって成仏します。
そして、葵上も死なないというのです。
これは知りませんでした。
能は仏教の上で怨霊でさえ浄化されるという事なのですね。
こういう考えは救われるなと私も思いました。
ウェイリーは何とこの能楽も翻訳しているそうです。
最後にプルーストの「失われた時を求めて」が紹介されます。
何とこれを英訳したのはウェイリーの幼なじみであったとか…。
プルーストの「失われた時を求めて」というのは世界最長と言われる小説でそのほとんどは退屈なものです。
主人公の心理描写がずっと描かれていきます。
私自身も長すぎるので最初は解説本を読んだのですが、結局のところ、全編を読まないと何のことか分からないので眠い目をこすりながら読んだことを覚えています。
プルーストを英訳したのはウェイリーの幼なじみだった!
源氏物語が英訳されるだけでここまで風景が変わるものだと思いました。
ドンドン面白いものになりますね。
第4回は二人の姉妹翻訳者の方が登場です。
楽しみです。
第4回 世界文学としての『源氏物語』
第4回 世界文学としての『源氏物語』
2024年9月23日(月)
【ゲスト】
毬矢まりえ(俳人、評論家)
森山恵(詩人、翻訳家)…著書に「レディ・ムラサキのティーパーティ ~らせん訳『源氏物語』~」がある。
「源氏物語」を英訳したウェイリーは、ヴァージニア・ウルフらも所属した芸術・文学集団「ブルームズベリー・グループ」の一員。その幅広い教養バックグラウンドを生かして、さまざまな世界文学の成果を翻訳表現の中に巧みに取り込んでいる。聖書、シェイクスピア、モダニズム文学……さまざまな文化や文学と比較していくと、思いもよらない「ウェイリー版・源氏物語」の広がりが見えてくる。とともに、原典の「源氏物語」も中国の古典文化や周辺の多様な文化的成果を掬い上げながら生み出されたグローバルな文学だったこともわかっていく。第四回は、ウェイリー訳「源氏物語」の日本語訳者である毬矢まりえさん、森山恵さん姉妹をゲストに招き、彼女たちの研究成果や発見などについても語り合いながら、世界文学としての「源氏物語」の魅力を浮き彫りにしていく。
らせん訳の翻訳者が登場!
最終回には今回の底本になった翻訳をされたお二人がゲストです。
このお二人は何とご姉妹!
毬矢まりえさんは俳人で評論家。
森山恵さんは詩人で翻訳家。
韻を踏んだ軽快な訳はなるほどと思えるお二人です。
漢字をルビに!
らせん訳の工夫の一つとしてルビを漢字にするという事です。
全くの逆転の発想です。
「更衣」のルビを「ワードロープのレディ」とするのが本来のルビの使い方だと思いますが、
「ワードロープのレディ」のルビが「更衣」なのです。
面白い手法ですね。
ソネット18番
ここでシェイクスピアの「ソネット18番」の韻とよく似た記述がある事が注目になります。
シェイクスピアは戯曲をたくさん書いた人ですが、詩もたくさん書いています。
ソネットというのは14行の決まった詩の形です。
シェイクスピアの「ソネット18番」は良く引用される詩なので知っている人も多いと思います。
「君を夏の日に例えようか?」なんていうと「ああ、知っている!」と思う人もいらっしゃると思います。
そのよく知られた詩の韻律に源氏物語の一節を載せる事で英語圏の人にも親しみやすい効果が出ていたのです!
ものすごい嵐はノアの洪水?
ゲンジは須磨で嵐に遭いますが、この嵐のものすごさを表すのに洪水という意味のdelugeという単語が使われている事に注目されます。
一般的には洪水はfloodで表現される事が多いそうですが、ここでdelugeとする事でノアの洪水を想起させるというのです。
ノアの洪水は”the Deluge”と表現するので、英語圏の人なら「ノアの洪水のように凄い嵐だったんだ!」と想像できるのです。
スエツムハナは魅力的な女性?
源氏物語の「末摘花」はどんな女性だと思いますか?
不美人で不器用で貧乏で…とお世辞にも魅力的な女性とは言えません。
ですが、英語になると「鼻筋が通っていて」「背が高くて」「細くて」「色白で」「高級な毛皮を羽織っている」女性となるのです。
これは全く思わなかった展開なので驚きました。
特に注目点は高級な毛皮という事で日本では黒貂(くろてん)のマントという事になるのですが、英訳になる事でミンクより高級な「セーブルのマント」という事になるのです。
ここで、指南役の安田先生の貴重なご指摘もあります。
紫式部の少し前に醍醐天皇の息子の重明親王がまさにこういう方で色が白く黒貂のマントを何枚も着て人々を驚かせたというエピソードを紹介されます。
スエツムハナは皇族の父に持つ女性です。
黒貂のマントを持っているという事で高貴な女性である事を表現しているのでは?というのです。
また、紫式部は父が越前に赴任した時に付き従った事も紹介されます。
当時の越前は貿易の港で外国の人や珍しい品物がたくさんありました。
国司の娘として紫式部自身がそういったモノを観た事がこのスエツムハナに繋がっているのでは?というのです。
大河ドラマ「光る君へ」でも越前の様子は描かれました。
光る君へ~第21回~旅立ち
光る君へ~第22回~越前の出会い
光る君へ~第23回~雪の舞うころ
光る君へ~第24回~忘れえぬ人
源氏物語は前衛的な物語だった!
源氏物語は「物語」です。
その中でウェイリーが表現する時に「ストーリー」でも「テイル」でも「ロマンス」でもなく「ノヴェル」だったと言います。
ノヴェルは「小説」と訳されます。
ノヴェルの語源は「新しい」です。
ウェイリーが翻訳した時点で900年前の話です。
そんな古い話なのにウェイリーは「新しさ」を感じていたというのです。
前衛的な作品が日本で女性が平安時代に書かれていた!
らせん訳の醍醐味
「らせん訳」は、ただ行って帰ってきたわけではないのです。
「物事はらせん的に展開していく」というドイツの哲学者ヘーゲルの言葉からインスピレーションを受けたと明かされました。100分de名著「精神現象学」ヘーゲル
日本語⇒英語⇒日本語
単に戻した訳ではなくて違う視点で書かれた「少しずれた着地点」に行く感覚だと思いました。
ずっと続く普遍的な物語
今、読んでいる私たちがいなくなっても、それこそ千年後の未来にも読まれている普遍的な物語ではないかと事で結ばれました。
関連書籍
今回の底本
今回の底本となったのがこちら【全4巻】
重厚な読み応えのある豪華本になっています。
装丁も源氏物語と思えないほどのスタイリッシュな感じです。
源氏物語(1) A・ウェイリー版 [ 紫式部 ]
紀伊國屋書店 楽天ブックス Amazon
また違う翻訳者のウェイリー訳
今回のテキスト
大河ドラマ「光る君へ」関連リンク
放送リスト
第1回「約束の月」 – 2024年1月7日
第2回「めぐりあい」 – 2024年1月14日
第3回「謎の男」 – 2024年1月21日
第4回「五節の舞姫」 – 2024年1月28日
第5回「告白」 – 2024年2月4日
第6回「二人の才女」 – 2024年2月11日
第7回「おかしきことこそ」 – 2024年2月18日
第8回「招かれざる者」 – 2024年2月25日
第9回「遠くの国」 – 2024年3月3日
第10回「月夜の陰謀」 – 2024年3月10日
第11回「まどう心」 – 2024年3月17日
第12回「思いの果て」 – 2024年3月24日
第13回「進むべき道」 – 2024年3月31日
第14回「星落ちてなお」 – 2024年4月7日
第15回「おごれる者たち」 – 2024年4月14日
第16回「華の影」 – 2024年4月21日
第17回「うつろい」 – 2024年4月28日
第18回「岐路」 – 2024年5月5日
第19回「放たれた矢」 – 2024年5月12日
第20回「望みの先に」 – 2024年5月19日
第21回「旅立ち」 – 2024年5月26日
第22回「越前の出会い」 – 2024年6月2日
第23回「雪の舞うころ」 – 2024年6月9日
第24回「忘れえぬ人」 – 2024年6月16日
第25回「決意」 – 2024年6月23日
第26回「いけにえの姫」 – 2024年6月30日
第27回「宿縁の命」 – 2024年7月14日
第28回「一帝二后」 – 2024年7月21日
第29回「母として」 – 2024年7月28日
第30回「つながる言の葉」 – 2024年8月4日
第31回「月の下で」- 2024年8月18日
第32回「誰がために書く」- 2024年8月25日
第33回「式部誕生」- 2024年9月1日
第34回「目覚め」-2024年9月8日
第35回「中宮の涙」-2024年9月15日
第36回「待ち望まれた日」-2024年9月22日
第37回「波紋」-2024年9月29日
第38回「まぶしき闇」-2024年10月6日
第39回「とだえぬ絆」-2024年10月13日
第40回「君を置きて」-2024年10月20日
第41回「揺らぎ」-2024年10月27日
第42回「川辺の誓い」-2024年11月3日
第43回「輝きののちに」-2024年11月10日
登場人物が書いた本
源氏物語
ネット配信はこちら
キャスト一覧
主要キャスト一覧
まひろ/紫式部 (むらさきしきぶ) 吉高 由里子
藤原 道長 (ふじわらのみちなが) 柄本 佑
藤原 為時 (ふじわらのためとき) 岸谷 五朗
ちやは 国仲 涼子
藤原 惟規 (ふじわらののぶのり) 高杉 真宙
藤原 兼家 (ふじわらのかねいえ) 段田 安則
時姫 (ときひめ) 三石 琴乃
藤原 道隆 (ふじわらのみちたか) 井浦 新
藤原 道兼 (ふじわらのみちかね) 玉置 玲央
藤原 詮子 (ふじわらのあきこ) 吉田 羊
高階 貴子 (たかしなのたかこ) 板谷 由夏
ききょう/清少納言 (せいしょうなごん) ファーストサマーウイカ
安倍 晴明 (あべのはるあきら) ユースケ・サンタマリア
源 倫子 (みなもとのともこ) 黒木 華
源 明子 (みなもとのあきこ) 瀧内 公美
藤原 実資 (ふじわらのさねすけ) 秋山 竜次
藤原 公任 (ふじわらのきんとう) 町田 啓太
藤原 斉信 (ふじわらのただのぶ) 金田 哲
藤原 行成 (ふじわらのゆきなり) 渡辺 大知
源 俊賢 (みなもとのとしかた) 本田 大輔
源 雅信 (みなもとのまさのぶ) 益岡 徹
藤原 穆子 (ふじわらのむつこ) 石野 真子
藤原 頼忠 (ふじわらのよりただ) 橋爪 淳
藤原 宣孝 (ふじわらののぶたか) 佐々木 蔵之介
藤原 定子 (ふじわらのさだこ) 高畑 充希
藤原 彰子 (ふじわらのあきこ) 見上 愛
藤原 伊周 (ふじわらのこれちか) 三浦 翔平
円融天皇 (えんゆうてんのう) 坂東 巳之助
花山天皇 (かざんてんのう) 本郷 奏多
一条天皇 (いちじょうてんのう) 塩野 瑛久
直秀 (なおひで) 毎熊 克哉
赤染衛門 (あかぞめえもん) 凰稀 かなめ
乙丸 (おとまる) 矢部 太郎
百舌彦 (もずひこ) 本多 力
いと 信川 清順
藤原 道綱 (ふじわらのみちつな) 上地 雄輔
藤原 寧子 (ふじわらのやすこ) 財前 直見
藤原 隆家 (ふじわらのたかいえ) 竜星 涼
さわ 野村 麻純
絵師 (えし) 三遊亭 小遊三
藤原 忯子 (ふじわらのよしこ) 井上 咲楽
藤原 義懐 (ふじわらのよしちか) 高橋 光臣
三条天皇 (さんじょうてんのう) 木村 達成
藤原 顕光 (ふじわらのあきみつ) 宮川 一朗太
朱 仁聡 (ヂュレンツォン) 浩歌
周明 (ヂョウミン) 松下 洸平
藤原賢子(ふじわらのかたこ)南 沙良
あかね / 和泉式部(いずみしきぶ)泉 里香
敦康親王(あつやすしんのう)片岡千之助
双寿丸(そうじゅまる)伊藤健太郎
スタッフ一覧
脚本 : 大石静
語り : 伊東敏恵
副音声解説 : 宗方脩
タイトルバック映像 : 市耒健太郎
題字・書道指導 : 根本知
制作統括 : 内田ゆき、松園武大
プロデューサー : 大越大士、高橋優香子
広報プロデューサー : 川口俊介
演出 : 中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう、原英輔、佐原裕貴 ほか
時代考証 : 倉本一宏
風俗考証 : 佐多芳彦
建築考証 : 三浦正幸
芸能考証 : 友吉鶴心
平安料理考証 : 井関脩智
所作指導 : 花柳寿楽
衣装デザイン・絵画指導 : 諫山恵実