(18)岐路
https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/episode/te/GP7VK2RKY5/
初回放送日:2024年5月5日
道隆(井浦新)の死後、一条天皇(塩野瑛久)が次の関白にと命じたのは道兼(玉置玲央)だった。道兼は民の為によい政をと奮起していたが、関白就任の日に倒れ、七日後にこの世を去る。その頃、為時(岸谷五朗)の屋敷にききょう(ファーストサマーウイカ)がまひろ(吉高由里子)を訪ねてくる。次の関白は伊周(三浦翔平)か道長(柄本佑)かで内裏では話が持ち切りだと聞かされ…。夜、まひろが道長との思い出の場所へ行くと…
まひろは越前へ。結婚、出産。
宋人との間にロマンスはあるのか?
どんな展開が待っているのでしょう?
道兼・七日関白
関白・道隆亡き後にその地位に就いたのは道兼でした。
今まで、藤原家の暗部を一気に引き受けてきた道兼にようやく光がさしてきた所です。
政に意欲満々の道兼でしたが、何と着任早々倒れてしまいます。
道兼が七日関白と言われる理由がこれです。
この辺は史実を踏襲しています。
そのまま道兼は亡くなってしまい、関白の地位は空いてしまいます。
今までの苦労が報われた瞬間かと思いますが、あっと言う間にその地位も命も失います。
道兼が倒れて自分の人生を悟るのが何とも言えない演出でした。
疫病だと察し、医者を連れて見舞った道長を遠ざけようと追い返すのが辛かったです。
道長も同じ病気になれば、家の存続はなくなるのです。
もう、息も絶え絶えになる道兼を抱きしめる道長には涙を流した人も多いでしょう。
道兼の罪の云々は大河の演出でしたが、最後は愛のある演出でした。
伊周VS道長
ここで次の関白が誰かが重要になってきます。
関白は一般人の中のトップなので誰がその地位に就くかで大問題です。
疫病で死んだのは道兼のみにあらず、伊周、道長の上の大臣たちが次々に亡くなってたのです。
ここで候補になるのは「前の関白の息子」の伊周と「2代前の関白の息子」の道長の二人になります。
二人は叔父甥の関係ですから、何とも身近な関係で政権争いがあった事があげられます。
この時点で伊周はとにかく若いのです。
でも、彼の血統は誰よりも上で今の帝の中宮は自分の妹です。
血統も地位も申し分のないものです。
でも、この時点でも彼は今でいう大学生くらいです。
他の公卿たちが面白いはずがありません。
妹が天皇のお気に入りである事や親が関白であった事で「コネ」で関白になろうとしているわけですね。
更に伊周はイケメンで格好良くて文武両道。
僻まれないわけはありません。
疫病が蔓延し、都が危機に瀕している時に若い伊周には任せられないという事も本当の事だったと思います。
藤原実資の言葉
「よろしくない流れであるなあ」と藤原実資の言葉があります。
この全く同じ言葉を彼が書き残しているわけではありませんが、この時代に関白がすぐに変わって帝の寵愛を基準に関白が決まるという事をよく思っていなかったというのは彼の本音だっただろうと思います。
*こういうことがはっきり書かれているわけではありませんよ。
帝も定子に嫌われたくない
帝(一条天皇)の定子への寵愛は本物でこんな政権争いの中で純粋な愛情もあったのだと心奪われてしまいます。
帝は伊周に傾倒しています。
ほぼ、気持ちも決まっていると言って良いと思います。
これにも少し裏事情があります。
帝が民たちの事を思い、救済したい思いを当時の関白に意向を伝えた事があります。
この時に帝が引用したのが「貞観政要」という本です。
貞観政要とは中国の皇帝の政治の本です。
名著として今もビジネスマンによく読まれている本です。
この本の良い所は政治的に成功した事だけでなくて失敗した例が書かれている事です。
この失敗した例に中国の皇帝が自分の寵愛する后とその親族に政権を委ねた事や民に十分な救済を与えずに滅んでいった事も書かれています。
帝はこの事を知っていたので自分の個人的な思いだけで政治を動かすべきでない事も十分に承知していたわけです。
でも、定子への愛情は本物です。
定子にも嫌われたくありません。
そして、帝が伊周を信用していた理由の一つとして挙げられるのが、この「貞観政要」をはじめ漢文の知識を授けたのが伊周自身だったからです。
(この辺はドラマでは詳しく書かれませんでしたが…)
若い伊周がそんな事が出来たのかどうかという事で不思議に思われる方もいるでしょう。
伊周自身は英才教育を受けたインテリです。
その知識を与えたのは母親の高階貴子です。
彼女が漢文の知識がすばらしかったのは漢文学のエリート家庭での育ちだからです。
高階貴子の父・高階成忠も漢文学者です。
つまり伊周は非常に恵まれた漢文学のエリートだったのです。
そんな中で育った伊周が帝に教えられるくらいの漢文学の知識があっても不思議ではありません。
ただし、教えた伊周が自分の地位をゆるぎないものにしたいと望み、帝が迷うという形になってきました。
帝に「貞観政要」を教えたのは伊周だった!
詮子は涙ながらに帝に直訴
髪を切って女院となっている詮子は我が子である一条天皇が次の関白を伊周にする事には賛成できません。
でも、彼女は公卿や参議ではありません。
母である事をフルパワーに活用します。
これ、「栄花物語」にある話でもあります。
詮子は涙ながらに帝(息子)に訴え、弟の道長に関白にするように進言します。
ここで、ドラマ内でも詮子役の吉田羊さんの鬼気迫る演技がありましたが、当時の宮廷はそれほどまでに混乱していたのだと思います。
ちなみにこうやって詮子が政治に口を出していたというのは実資の日記にもあります。
(実資はちょっと鬱陶しいと思っていたようです)
伊周は妹にマタハラ
伊周の最後の頼みは妹の定子です。
今度は自分の妹に「皇子を産め」とマタハラです。
もちろん、この時代に跡継ぎである男子を産めるかどうかが問題でした。
定子も良く分かっています。
それをじっと耐えて聞く定子。
若い伊周にしてみれば、後がない訳でこうなるのも分からないではありません。
ですが、この時点で伊周はなかなかの高位にあるのです。
伊周が関白にこだわらずに、その高い地位だけで満足していれば違ったのかなと思います。
道長はナンバー1、伊周はナンバー2に!
帝は苦渋の決断をします。
関白と左大臣は空位のまま、道長を右大臣にします。
これは実質的なナンバーワンという事になります。
上の位の人がいないわけですからですからね。
伊周にしてみれば、自分が関白亡きあとのナンバー1だったのを抜かれたわけです。
ただ、この時点では実質的にナンバー2だったのです。
それで、良かったんじゃないかなと私などは思うのですが…。
【参考】道長が右大臣なのにナンバー1になった背景
貴族の中で一番偉いのが「関白」です。
おまけに別格だったので白い装束でした。
父・道隆が関白だった時代に新参者の伊周が同じように白い装束だったことなども他の公卿(貴族)に反感を持たれる事になりました。
自分は関白の息子である、中宮の兄であるというつまらない優越感がそうさせたのかもしれません。
ですが、図式の様に伊周はこの時点で政権のナンバー2なので決して低い地位ではありません。
【参考2】亡くなった高位高官たち
当時の資料があったので考察していきます。
長徳元年に亡くなった高位高官と生き残った二人 *生き残った人は赤字 (長徳元年・995年3月~5月) |
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関白 | 道隆 | 43歳・4月10日死去 |
左大臣 | 源重信 | 74歳・5月8日死去 |
右大臣 | 道兼 | 35歳・5月8日死去 |
内大臣 | 伊周 | 22歳 (地位は変わらず。道長に抜かれる) |
大納言 | 朝光 | 45歳・3月20日死去 |
大納言 | 済時 | 55歳・4月23日死去 |
権大納言 | 道長 | 30歳 (この後、右大臣に昇進。トップに) |
上記の表のように長徳元年に公卿の中でも高位に就いている人たちがどんどん亡くなっているのが分かります。
(3月から5月の3か月間)
関白の道隆は糖尿病ですが、この短期間にこれだけの疫病の被害が貴族の中でもあったという事です。
公卿の中でも若い伊周と道長が生き残ったような形です。
生き残った公卿の中で伊周が一番上であったのが分かると思います。
順当であれば、伊周がトップの関白になるような気もしますが、年齢を観ればあまりにも若すぎます。
身分で決定されるとは言え、トップクラスの公卿たちは40代から50代が主流です。
その人たちの中でまだ22歳の伊周がトップに躍り出る事は難しかったのではないかと思います。
現代に例えると大学生が大統領や総理大臣になるような感覚に似ていると思います。
いくら世襲や身分が優先された時代とは言ってもかなり無理があるのではと考察します。
宣孝おじさん再登場
国司になっていた宣孝おじさん。
国司というのは県知事の事です。
この国司は地方に行くのですが、その土地の最高権力者です。
豊かな地域の国司になるとかなりの贅沢が出来ますが、逆に貧しい地域の国司になると自分自身が貧困にあえぐ事になります。
宣孝おじさんの赴任先は筑紫(福岡)です。
筑前の守(ちくぜんのかみ)と言われます。
筑紫は宋(中国)との貿易もあったり地域なのでとても豊かでした。
まひろたちへのお土産に高価なものをたくさん持ってきますが、これも豊かな地域の国司である事であることを示していると思います。
さわさんも肥前の国に行く事になります。
佐賀県にあたります。
お父さんが国司になったからですが、これもまた九州なので当時の距離感で言えば、「もう二度と会えない」と思うくらいの距離であったのだと思われます。
まひろとききょう
宮廷での次の関白の争いに嫌気がさしているききょう(清少納言)はまひろ(紫式部)を訪ねます。
お茶会のお友達のような気さくさで、今で言えばケーキを持って友達を訪ねるような感じでしょうか?
中宮様にもらったというお菓子を携えての女子トークです。
関白が誰になるかでもめていて嫌気がさしている事を話すききょう。
「道長」の名前が出た時点で顔色が変わるまひろを観て「道長を知っているのか」と尋ねるききょう。
さすが清少納言、察しているのかと思えるシーンです。
フィクション部分ですが、こんな交流があったらいいなと思わせるシーンでした。
まひろと道長
まさかの東屋でまひろと道長は再会します。
ですが、今度は言葉も交わさずにスルーします。
全体的な感想として
関白道隆が亡くなってすぐに跡を継いだはずの道兼も亡くなってしまいます。
おまけにこの短い間に他の高位高官の公卿たちが相次いで亡くなってしまい、宮廷は大混乱だった事でしょう。
女院の詮子さまが涙ながらに帝に直訴しますが、これも栄花物語に描かれている事です。
やはり、今回も吉田羊さんの演技に圧倒された方も多いでしょう。
放送後、「今日の活躍者」とアンケートをさせていただきましたが、ぶっちぎりで詮子さまでした。
本日の活躍者
1位・詮子(女院様)
2位・定子(中宮)
3位・倫子(道長の嫡妻)
4位・明子(道長の妾)
次回、花山天皇(花山院)再登場です。
紀行:石清水八幡宮・粟田口
石清水八幡宮
石清水八幡宮の詣では道兼が帝の行幸を取り仕切った事がありったのですね。
ちょっと感慨深いですね。
石清水八幡宮は今も訪れる人が多いですが、かなりの山の上にあるのでお参りが大変なとことです。
私も子供の頃に訪れた事がありますが、とても足が痛かったのを覚えています。
粟田口
道兼の別荘があって歌人たちと歌会をやっていたという粟田。
なかなか風情のあるたたずまいの中です。
歌人として招待された一人に藤原為時もいたという逸話は本当でしょうか?
大河の中では敵のような描かれ方をしましたが、歌人として道兼と為時が交流があったのではあれば、少し救いがあります。
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放送リスト
第1回「約束の月」 – 2024年1月7日
第2回「めぐりあい」 – 2024年1月14日
第3回「謎の男」 – 2024年1月21日
第4回「五節の舞姫」 – 2024年1月28日
第5回「告白」 – 2024年2月4日
第6回「二人の才女」 – 2024年2月11日
第7回「おかしきことこそ」 – 2024年2月18日
第8回「招かれざる者」 – 2024年2月25日
第9回「遠くの国」 – 2024年3月3日
第10回「月夜の陰謀」 – 2024年3月10日
第11回「まどう心」 – 2024年3月17日
第12回「思いの果て」 – 2024年3月24日
第13回「進むべき道」 – 2024年3月31日
第14回「星落ちてなお」 – 2024年4月7日
第15回「おごれる者たち」 – 2024年4月14日
第16回「華の影」 – 2024年4月21日
第17回「うつろい」 – 2024年4月28日
第18回「岐路」 – 2024年5月5日
第19回「放たれた矢」 – 2024年5月12日
第20回「望みの先に」 – 2024年5月19日
第21回「旅立ち」 – 2024年5月26日
第22回「越前の出会い」 – 2024年6月2日
第23回「雪の舞うころ」 – 2024年6月9日
第24回「忘れえぬ人」 – 2024年6月16日
第25回「決意」 – 2024年6月23日
第26回「いけにえの姫」 – 2024年6月30日
第27回「宿縁の命」 – 2024年7月14日
第28回「一帝二后」 – 2024年7月21日
第29回「母として」 – 2024年7月28日
第30回「つながる言の葉」 – 2024年8月4日
第31回「月の下で」- 2024年8月18日
第32回「誰がために書く」- 2024年8月25日
第33回「式部誕生」- 2024年9月1日
第34回「目覚め」-2024年9月8日
第35回「中宮の涙」-2024年9月15日
第36回「待ち望まれた日」-2024年9月22日
第37回「波紋」-2024年9月29日
第38回「まぶしき闇」-2024年10月6日
第39回「とだえぬ絆」-2024年10月13日
第40回「君を置きて」-2024年10月20日
第41回「揺らぎ」-2024年10月27日
第42回「川辺の誓い」-2024年11月3日
第43回「輝きののちに」-2024年11月10日
登場人物が書いた本
源氏物語
ネット配信はこちら
キャスト一覧
主要キャスト一覧
まひろ/紫式部 (むらさきしきぶ) 吉高 由里子
藤原 道長 (ふじわらのみちなが) 柄本 佑
藤原 為時 (ふじわらのためとき) 岸谷 五朗
ちやは 国仲 涼子
藤原 惟規 (ふじわらののぶのり) 高杉 真宙
藤原 兼家 (ふじわらのかねいえ) 段田 安則
時姫 (ときひめ) 三石 琴乃
藤原 道隆 (ふじわらのみちたか) 井浦 新
藤原 道兼 (ふじわらのみちかね) 玉置 玲央
藤原 詮子 (ふじわらのあきこ) 吉田 羊
高階 貴子 (たかしなのたかこ) 板谷 由夏
ききょう/清少納言 (せいしょうなごん) ファーストサマーウイカ
安倍 晴明 (あべのはるあきら) ユースケ・サンタマリア
源 倫子 (みなもとのともこ) 黒木 華
源 明子 (みなもとのあきこ) 瀧内 公美
藤原 実資 (ふじわらのさねすけ) 秋山 竜次
藤原 公任 (ふじわらのきんとう) 町田 啓太
藤原 斉信 (ふじわらのただのぶ) 金田 哲
藤原 行成 (ふじわらのゆきなり) 渡辺 大知
源 俊賢 (みなもとのとしかた) 本田 大輔
源 雅信 (みなもとのまさのぶ) 益岡 徹
藤原 穆子 (ふじわらのむつこ) 石野 真子
藤原 頼忠 (ふじわらのよりただ) 橋爪 淳
藤原 宣孝 (ふじわらののぶたか) 佐々木 蔵之介
藤原 定子 (ふじわらのさだこ) 高畑 充希
藤原 彰子 (ふじわらのあきこ) 見上 愛
藤原 伊周 (ふじわらのこれちか) 三浦 翔平
円融天皇 (えんゆうてんのう) 坂東 巳之助
花山天皇 (かざんてんのう) 本郷 奏多
一条天皇 (いちじょうてんのう) 塩野 瑛久
直秀 (なおひで) 毎熊 克哉
赤染衛門 (あかぞめえもん) 凰稀 かなめ
乙丸 (おとまる) 矢部 太郎
百舌彦 (もずひこ) 本多 力
いと 信川 清順
藤原 道綱 (ふじわらのみちつな) 上地 雄輔
藤原 寧子 (ふじわらのやすこ) 財前 直見
藤原 隆家 (ふじわらのたかいえ) 竜星 涼
さわ 野村 麻純
絵師 (えし) 三遊亭 小遊三
藤原 忯子 (ふじわらのよしこ) 井上 咲楽
藤原 義懐 (ふじわらのよしちか) 高橋 光臣
三条天皇 (さんじょうてんのう) 木村 達成
藤原 顕光 (ふじわらのあきみつ) 宮川 一朗太
朱 仁聡 (ヂュレンツォン) 浩歌
周明 (ヂョウミン) 松下 洸平
藤原賢子(ふじわらのかたこ)南 沙良
あかね / 和泉式部(いずみしきぶ)泉 里香
敦康親王(あつやすしんのう)片岡千之助
双寿丸(そうじゅまる)伊藤健太郎
スタッフ一覧
脚本 : 大石静
語り : 伊東敏恵
副音声解説 : 宗方脩
タイトルバック映像 : 市耒健太郎
題字・書道指導 : 根本知
制作統括 : 内田ゆき、松園武大
プロデューサー : 大越大士、高橋優香子
広報プロデューサー : 川口俊介
演出 : 中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう、原英輔、佐原裕貴 ほか
時代考証 : 倉本一宏
風俗考証 : 佐多芳彦
建築考証 : 三浦正幸
芸能考証 : 友吉鶴心
平安料理考証 : 井関脩智
所作指導 : 花柳寿楽
衣装デザイン・絵画指導 : 諫山恵実