2023年、3月11日は東日本大震災が起こって12年目になります。
12年一回りしました。
今年の干支と同じ、うさぎ年に起こったと言う事です。
12年前と言う事になれば、全く知らない方も多くなってきたかと思います。
少しでも、こんな事があったとか、気に留めていただけたら、今後もあるであろう災害に少しでも役に立てればと思います。
阪神淡路大震災
私自身は阪神淡路大震災を身近に経験しました。
その時も前日までは普通の生活を送っていた人たちが、一瞬で崩壊してしまったのです。
私は震災が起こったその当時、神戸の夜景が見える対岸に位置する所にいましたが、世界で最も美しい夜景の一つと言われた神戸の町の灯が一瞬で消えたのです。
私の家もかなり強い地震に遭いましたが、家が倒れるほどでもありませんでした。
でも、あまりに強いその地震は多くの人の命や財産を奪っていたのです。
その瞬間は「何か」が起こったと言う事だけで詳細はほとんど報じられる事はありませんでした。
それは、報道機関でさえも通信不能の状態であったからです。
わずかに頼りになったのはその当時の携帯電話でした。
当時の携帯電話はかなり高額で裕福な層やよほどの新しいもの好きな人間が持つものでした。(保証金だけで100万円単位という時代でした)
ですが、そういう人たちのおかげで少しずつ、詳細が分かるようになりました。
本当に被災してしまった時は被災した側が「助けて」とSOSを出すことは実は困難だと言う事です。
この時に、自衛隊やレスキュー隊なども自発的に出動することは出来ませんでした。
管内にいる公職の人間から連絡がないと出動出来なかったからです。
明らかに何万人の命が奪われているのにです。
ですから、その当時に出動した自衛隊には懲罰を覚悟で出動した部隊もあったと言います。
また、現地に入った隊員たちも民事不介入でありながら、これもまた懲罰覚悟で人を助けています。
この後、大きな災害があった時は現場からの要請がなくても出動できるように法律は改正されました。
今は、災害があったと報告があった時点で被災地へスタートします。これは民間の支援団体でも今では常識です。そうでなければ、途中の渋滞などでいつまで経っても現地に到着出来ないことが分かっているからです。これらも皮肉な事に阪神淡路大震災があったからでした。あの震災に触れた時に、「犠牲になった人たちに報いるのは次に大きな災害があった時に犠牲者がいなくなること」しかないと思いました。
東日本大震災
3.11の東日本大震災が起こった2011年。津波が起こったその時に、友達がいました。安否が分からず、気が狂いそうだったその日。友達の携帯電話番号を検索すると、とにかく生きている事が分かりました。ですが、余震が多すぎて、今日生きているからと言って明日生きているか分かりません。それくらい、酷い状況でした。
その友達は車を運転していて、「とにかく高い所へ」向かったそうです。これは子供の時から「地震が来たら津波が来るから高い所へ逃げろ!」と避難訓練をしていたからだそうです。
避難訓練は実は国で定められている訳でなく、その学校や行政の長の個別の判断だそうです。
ですから、子供の頃から避難訓練をしていた人とそうでない人との判断の差が出てしまった部分もあると言います。
子供の頃の避難訓練はイベントの一環で良いのです。「地震が来たから高い所に逃げろ」という刷り込みさえできていればいい訳ですから。
住んでいる地域によって起きやすい災害は違います。避難訓練はイベントやご近所さんの顔合わせという意味だけでも良いですから、皆さんに是非ご参加いただきたいです。
震災について書かれたジャーナリストの本を2冊
震災を体験し、取材したジャーナリストによる本を2冊。読んでくださる皆さんに紹介します。
一つ目は神戸新聞の元記者で、現在は作家の真山仁さんによる「そして、星の輝く夜がくる」。
二つ目はジャーナリストで奥野修平さんによる「魂でもいいから、そばにいてーー3・11後の霊体験を聞く」です。
概要を書いておきます。
そして、星の輝く夜がくる 真山仁
ハゲタカシリーズの真山仁が書いた震災の小説。
神戸の震災で被災した主人公が東北の小学校に赴任して奮闘する話です。
6編からなり、それぞれに私の感想をつけてご紹介します。
わがんね新聞
神戸から東北に赴任した小学生教師、小野寺徹平は関西弁丸出しで子供たちに語りかける。
主人公は子供たちに「もっと怒れ、我慢するな」と言い続けます。
不満は山ほどあるのに誰も言わない。
理由は皆が我慢しているから。
「やってられない」という意味の「わがんね」をタイトルに新聞を作る事になる。
ここで子供たちの素直な不満が爆発します。
それは「頑張れといわれたくない」
「泣いているときに写真を撮られるのが嫌だ」
「仮設で両親は毎日喧嘩ばかりしている」と言うことが出てきた。
この作品では赴任したのは東日本大震災が発生してから数ヵ月後という事になっているのですが、東北の人の気質と言うか何と言うか「我慢する」と言う姿勢が子供にまで浸透してしまっています。
勿論、自分だけじゃないし、言っていられない部分もあるのですが、ここで吐き出す事の大切さもあるという事もあるのです。
吐き出したばかりに家族で一悶着、二悶着あったりするのですが、向き合うきっかけにはなります。
ただ、それでは物事は解決しません。
“ゲンパツ”が来た!
この小学校に東電の関係者の子供が引っ越してきた。
名前も「福島くん」という事で“ゲンパツ”と呼ばれるようになっていた。
この話を読んでいる当時、自主避難した子供がいじめられた話が世間で話題になりました。
先生自ら【菌】と呼ぶような事もありました。
この話の中にありますが、何かあったときだけ皆が敵に回ったと子供が訴えます。
東電当事者のお父さんは「分かってもらうまで説明し続けるしかない」というのですが、この辺は私も心が痛みました。
また、こういったイジメを予見していた、もしくは当時からあったかもしれない事を今更ながらに思いました。
さくら
被災した小学校で発達障害の子供の手を離してしまったことで親に訴えられた先生の話。
ジャーナリストにも責められ、吊るし上げになってしまっているのですが、この先生はかたくなにマジメで自己弁護すらしないのです。
この真相は読んでいただくとして、こういう明らかなメディアスクラムが未だにあるという事なのです。
子供を失った親からすれば、生き残った先生は憎い象徴でしかないし、何故我が子が死んだのか?どう言う最期だったのかは親として当然聞きたい事であると思います。
親としては怒りの矛先が無いのですね。
ここでも真相はこの生き残った先生とは別のところにあるのですが、これがまた教育委員会の隠蔽であるのですよ。
むしろ、機転を利かせて他の子供たちや先生を高台に逃がしたのがこの先生でした。
それでも、一人の子供を救えなかった事はこの先生の足枷になってしまうのです。
小さな親切、大きな……
ボランティアについて考えさせられた話。
現地に行く若い人たちも夜になったら憂さ晴らしをするために酒盛りをしたり花火をしたり迷惑を顧みずにする。
その中でアメリカから帰ってきた女性があるボランティア団体を組織して統括している話です。
一日の従事する時間の上限を決め、一人当たりの最長滞在期間なども決める。
彼女自身が神戸の震災で被災、アメリカのルイジアナの台風でボランティアに参加したことから得た経験を大いに踏まえた規則。
アメリカのルイジアナ台風時のボランティアの人たちは傍若無人な振る舞いで被災した人たちに迷惑をかけてしまったというのだ。
やはり日本でもアメリカでも被災した人たちは「してもらっている」という気持ちがあるためにそういう迷惑行為をされても声を挙げる事が出来ないのですね。
これは熊本地震でも同じ事でした。
多くのマスコミが夜中に避難した人たちにライトを浴びせ、避難所を映さないでくれといってもカメラを回し続ける。
おまけに現地での弁当の買占めやガソリン給油所の横入り。
他にもいっぱいありました。
ボランティアや支援のあり方を考えさせられた話です。
間違っても迷惑になってはいけないのです。
善意からやった事でも、被災した人達に傷を残すようではいけないのです。
忘れないで
風化する震災の記憶をどうするかという課題。
被災した当人たちは風化する訳は無いのですが、他の人にとってはどんどん記憶が薄れていきます。
阪神淡路大震災でもそうだったように、世間で騒がれていたのはその年の3月22日まででした。
3月22日にオウム真理教の一斉強制捜査があったからです。
これで連日の報道はワイドショーに至るまでオウムになりました。
わずかに在阪の局が定期的に報道していたくらいです。
一度忘れられると、もうそこに還る事は無いのです。
だからと言って、誇大にアピールするのも違いますし、被災地のジレンマが感じられる話です。
てんでんこ
「つなみてんでんこ」というのは津波が来たら高い方に逃げろ!とにかく振り返るな!誰かを助けに帰ろうとするな!という意味だそうです。
言葉を連ねたら非情なように思われる方もいるかもしれませんが、津波が来たら一目散に逃げないと人を助けるどころか自分自身も巻き込まれてしまう。
津波は人助けをしていられるほど甘いものではないという事なのです。
実はこの話は東日本大震災当時、生き残った私自身の友達にも聞いた事です。
生き残った彼女は幼稚園の頃から「地震が来たら津波が来る。高い方に逃げろ!」という避難訓練を当たり前のように受けていたというのです。
ですが、この訓練はそれぞれの教育長の判断で行われるもので、すべての学校や幼稚園、保育園に徹底されているものでは無かったのです。
たまたま私の友達はこういった避難訓練を受けていた人だったのですが、彼女の友達で亡くなった人は誰かを助けるために家に戻ってしまって津波に飲まれてしまったと聞きました。
地域によって災害の種類は違います。
地震だけでなく、台風であったり、大雪であったりします。
その地域にあった避難訓練をそれぞれの教育長は時間を惜しまずに実行して欲しいと思います。
魂でもいいから、そばにいて 3.11後の霊体験を聞く 奥野修司
東日本大震災の後には亡くなった人たちの霊魂を見たとか、霊体験が数多く報告されるようになりました。これらは、荒唐無稽な霊媒ではなくて、侵攻から来るものが多いとされています。いきなり大事な人を目の前で奪われた人達の心の糧であり、心の枷であったと思います。
これを書いたのが、少年犯罪などに切り込んでいた奥野修司さんです。霊媒師やスピリチュアルと言った人たちが書いた胡散臭いものではなく、取材によって明らかになったものであると言う事です。
ですが、これで霊が存在するとかそういう事を言いたいのではなくて、遺された人々の気持ちであるという点で読んでいただければと思います。
阪神淡路大震災に活躍した中井久夫先生
阪神淡路大震災には被災者のメンタルケアの陣頭指揮をとられた日本の近代精神医学の最高峰、中井久夫先生のついても書いています。またその愛弟子で「心の傷を癒すということ」を書かれた安克昌先生についても書いています。よろしければ、あわせてお読みいただけると幸いです。
大きな災害は多くの人を苦しめます。それを少しでも緩和するために。そして、これからの災害の被害を少しでも軽減させるために、皆様の心の片隅に留めおいてほしいです。
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