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2023年8月は司馬遼太郎の「覇王の家」登場です。
指南役は直木賞作家で歴史小説家の安部龍太郎先生です。
愛嬌がある愛らしい先生ですが、鋭い指摘が光ります。
司馬遼太郎にどう切り込んでいくでしょうか?
楽しみです。
第1回 「三河かたぎ」が生んだ能力
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司馬遼太郎“覇王の家” (1)「三河かたぎ」が生んだ能力
初回放送日: 2023年8月7日家康が歴史の表舞台へと躍り出ることができたのはなぜか。司馬は「たったひとつ、かれが三河に生まれた」ことだと述べる。それは一体どういう意味なのか?
家康を生んだ三河には中世的な深い人間的紐帯が色濃く残る。若き日、人質になる事を余儀なくされた家康。「苦難を共にする」という思いが、残された家臣団の更なる団結を生んだ。信玄のような戦術的天才も、信長のような俊敏な外交感覚もなかった家康だったが、こうした紐帯がベースになって部下に対する統率力を磨く。第一回は、三河かたぎや若き日の苦難が家康の能力をどう育てていったのかを、司馬の洞察を元に探っていく。
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/2ZKZZXN911/
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初回放送は2023年8月7日。
何と司馬遼太郎先生のお誕生日です。
ご存命なら100歳!
(粋ですね!100分de名著!)
第1回の放送は高校野球のため20分遅れてのスタートとなりました。
指南役の安部龍太郎先生はスーツでの登場です。
着物で出てこられる事が多い先生なのでいつもと違うイメージです。
安部龍太郎先生もご自身で家康をモデルに作品を発表されています。
家康の魅力は「志の高い所と長いか時間をかけて目的をコツコツと達成していったところ。この世を何とか良くしたいとひたむきに一生をかけて生きた人」と言われます。
家康という人間は一筋縄では解き明かしにくい
司馬遼太郎はあんまり家康の事を好きではない。
河内出身の司馬先生は豊臣秀吉のような明るくて闊達で才能豊かな人間が好きだったろう。
しかし、徳川家康は「ややこしい」。
こういうジメっとした人物は決して好きではなかっただろうが、それでも「これだけの事を成し遂げた人間を作家として無視することも出来ず書き始めたのでは?」というのが安部龍太郎先生による推察です。
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三河VS尾張
三河(家康)VS尾張(信長)で対比されています。
今も残る愛知県内の「三河・尾張」論争がこの時代から顕著だったかと思うとこれも面白いと思います。
愛知県や中部に縁がないとこういう論争にもなかなか馴染みがないかもしれません。
三河(家康)は田舎者。
尾張(信長)は先駆者。
信長が家康の時代に先駆者で成功者であったと言う事や三河は「人よりも猿が多い」など、何かにつけて「三河VS尾張」と言うよりも「家康VS信長」という側面が良く見えてくるように思いました。
連載が始まったのが1970年。
安保闘争があった年。
左翼思想、学生運動、いわゆる社会主義思想が全盛を極めていた。
唯物史観…人間には自由意思がない。どういう生産関係に立っているかが重要という概念
(社会思想、マルクス主義思想の根本)
人間史観…人間は自由である。理想や志にのっとって生きていくのが人間。
(司馬遼太郎が唯物史観のアンチテーゼとして考えた概念)
キャラ立てをする
キャラクター設定をする事で読者に入り込みやすくなる。
今で言う「キャラ立て」。
キャラクターを決めつける事で、ドラマチックに仕立て上げられる。
「キャラクターを決めつける」という小説に落とし込む事と「史実を必ず入れる」という事を合わせる事で物語に深みが出て真実味も出て来る。
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司馬遼太郎先生の作品の中では史実には出てこないオリジナルキャラクターが多いのも周知の事と思います。
作品をドラマチックに仕立てるために使われる手法の一つで、オリジナルキャラクターが主要キャラになっている事も珍しい事ではありません。
特に、史実に残らない女性は司馬先生のオリジナルキャラクターとしてたびたび登場します。
でも、安心してください。
その作品ごとのあとがきや解説に各作品の史実である部分と創作である部分は明記されています。
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私自身、最後まで読んで「こんなに重要な人物が創作なの???」と驚いた事も一度に限った事ではありません(笑)
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家康のすごいところ
劣勢の戦いでも兵士が前のめりに倒れているというのです。
これは負けると分かっていても兵士たちが前に向かって倒れて行ったと言う事なのです。
こういう家康を決して侮ってはいけないと言ったのは、家康に大勝した武田軍の馬場信春です。
こういう兵士を育てた徳川家康はすごいのだと評価しているのです。
物語を書いている中で最初は家康の事を決して好きではなかった司馬先生も家康を知るにつけ、筆が乗ってきていると言います。
それが作家の醍醐味だというのが安部龍太郎氏のお考えです。
竜馬がゆく
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前のめりで倒れるという話で「倒れるときは前のめり」という話を想起します。
これは同じく司馬遼太郎先生による「竜馬がゆく」で最初に使われ出した言葉だと言われています。
「竜馬がゆく」のなかで坂本龍馬が言うセリフで竜馬の性格を表しているので有名になりました。
いかにも竜馬が言いそうなセリフですが、これも司馬先生の創作なのでしょうか?
そういった事も考えながら読むと面白いかもしれません。
⭕竜馬がゆく
❌龍馬が行く
❌竜馬が行く
また、「龍馬が行く」「竜馬が行く」と誤記されがちですが「竜馬がゆく」が正しい表記です。
この連載は産経新聞で掲載されました。
掲載当時、産経新聞の発行部数は増え、他府県からも取り寄せて読む人が多かったという逸話がある作品です。
書籍化する時は少しでも安くするために装丁をシンプルにしたら思いのほか売れなかったなど、面白いエピソードがたくさんです。
ですが、今に残る名作の一つとなったのはご承知の通りです。
第2回 「律儀さ」が世を動かす
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司馬遼太郎“覇王の家” (2)「律儀さ」が世を動かす
初回放送日: 2023年8月14日「家康は信長の下請会社の社長にあたる」ととらえる司馬遼太郎。下請会社を維持するためには徹底的に律儀であることを必要とする。それを貫いたのが家康だというのだ。
たとえ妻や息子を殺されようとも、命がけともいえる律儀さを貫いた家康。だがその律儀さは信長を動かし、戦国社会での世評にも家康という存在を刻み付けていく。そして「本能寺の変」での信長の死は家康の運命を大きく揺さぶるが、その後どんな天下を目指していくかを家康に練らせることになる。第二回は、奇跡に近い努力を要したと司馬から評された家康の律儀さの内実に迫っていく。
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/V2GN5RJKPP/
マジメ一徹な家康
家康は信長の下請け会社の社長というポジション。
これは徹底的に律義であると言う事が必要だった。
信長の生存中の家康は信長に対し徹底的に律義を通したのです。
この律義さが妻子(築山殿と信康)を死に至らしめたかと思うと、どうかとも思うのですが…。
何があっても信長を裏切る事はなかった家康。
築山殿に対するイメージ
大河ドラマ「どうする家康」の中で築山殿(瀬名)は朗らかで明るい女性として描かれています。
ですが、司馬遼太郎の描く築山殿はとにかく悪評だらけ。
そう思うと「築山殿=悪妻」のイメージを確立させたのは司馬遼太郎かもしれません。
訓戒、威圧、要求、厭味、怨嗟が毒焔のようにこもっていた。
三河衆(家臣)たちからは尻軽で押し付けられた嫁と評されていた。
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ひ、酷すぎる
司馬遼太郎は人を悪く書く時の筆が伸びるという指南役の安部先生。
一方で築山殿の研究は司馬遼太郎が書いた時代ではまだ進んでいませんでした。
その中で江戸時代に書かれた築山殿に対する本を読んで、「これだ!」と思ったに違いないというのです。
築山殿(瀬名)を悪役にする事で作品もドラマティックになります。
読者の方もこれでイメージしやすくなるのです。
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司馬遼太郎にしてやられた?
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富士見見物は全力でもてなした
妻である築山殿と長男の信康を死に追いやった原因である信長に対し、家康は全力でおもてなしをします。
「富士を見た事がない」という信長に対してです。
信長の接待の為に橋を架け、小屋を建て家臣一同で当たります。
これに喜んだ信長は「安土」に招待する旨を言います。
安土は信長の居城です。
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ですが、ここで本能寺の変が起こります。
信長は本能寺で部下の明智光秀の裏切りに遭い命を落とします。
この間に家康は命からがら三河に帰ります。
家康が信長に気に入られる事が「戦」
家康が信長に気に入られる事。そのものが「戦」だというのです。
だからこそ、全力で気に入られるように尽くしたというのです。
その一方で信長と家康との信頼関係は深い所で本物であったと安部先生は言われています。
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深い所で信頼していたからこそ、妻子を死に追い込んでも…となると、何とも複雑な気持ちになります。
天下を獲るというのはそこまでの事なのか…と思いました。
ビジネスエリートの新論語
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家康の律義さを書いた本と言う事で思い浮かんだのがこのビジネスエリートの新論語です。
ビジネスエリートの新論語
司馬遼太郎の初の新書と言う事で話題をかっさらった一冊です。
実は昭和30年(1955年)に当時は産経新聞の記者であった司馬遼太郎が本名「福田定一」で刊行した「名言随筆サラリーマン ユーモア新論語」の復刊になります。
当時の時代背景を知る事やその時代を担った人たちのこぼれ話などもたくさんあります。
注目すべきは徳川家康訓が引用され「よきサラリーマンとは家康型」であるらしいとの一文もあります。(本文・34ページ)
家康を主軸に置いた「覇王の家」の連載開始が昭和45年(1970年)である事を考えると昭和30年(1955年)時点で司馬遼太郎の中には「家康=よきサラリーマン」という構図があったと言う事になりそうです。
第3回 人生最大の戦果はこうして生まれた
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司馬遼太郎“覇王の家” (3)人生最大の戦果はこうして生まれた
初回放送日: 2023年8月21日家康の名を戦国の世に轟かせた「小牧長久手の戦い」での大勝。10万という秀吉勢に対して、対する家康軍は1万5千。圧倒的不利の中家康が勝つことができたのはなぜか?
家康勝利の背景には「情報戦の巧みさ」「知的柔軟さ」があった。信玄亡き後、家康は甲信を併呑するが武田軍の人材を寛容に迎えいれる。また敵だったにもかかわらず信玄の戦法を心から崇拝し愚直なまでにコピーして活かす柔軟さ。情報戦の巧みさもあいまって家康は見事に劣勢を打開していく。そして、人生最大ともいえるこの戦果は、その後の家康の切り札となるのだ。第三回は、天下に轟(とどろ)いた家康の底力の秘密に迫っていく
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/78LWRW5NY4/
司馬遼太郎のイメージする信長・秀吉・家康
司馬遼太郎は自分のエッセイで3人のイメージを表しています。
信長…芸術家
政治においても合戦においても独創的
秀吉…政治家
信長についていくために学び、有能な現実主義的政策家、政治家
家康…高級官僚
体制の中でうまく生きていく術を身に付けていている
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安部龍太郎先生の家康へのイメージは「凡人に近い」と言います。
理想に向かって堅実に向かって行ったのが家康であると言う事なのでしょうか?
確かに家康は信長と秀吉に比べてみるとカリスマ性は少ないかもしれません。
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秀吉は明智を討伐後、全国の大名へ通知
本能寺の変後、信長の復讐を誓った家康でしたが、あっさり秀吉にその願いを奪われます。
何百人の飛脚を使って各大名に通知します。
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この時に家康は秀吉をなめていたんじゃないかという安部先生。
信長の太鼓持ちに過ぎなかったと思っていた秀吉。
五尺に満たない小男の秀吉。
(身長が150センチ未満という意味)
「猿」と思っていた秀吉。
その秀吉に信長亡き後のトップの座をかっさらわれたのです。
「まさか秀吉が?」という感覚は家康にあったのかもしれません。
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秀吉にも全力でご機嫌取り?
家康は失意に打ちのめされている暇はありません。
自分の態度をはっきりさせなければなりません。
部下の石川数正の助言により、とりあえず祝いの品を送ります。
この祝いの品が「茶器」だというのです。
この時代の「茶器」は現代の高級な宝石と同じなのです。
家康の立場はこれで中立となります。
この巧みな戦術を司馬遼太郎が家康を高級官僚と評した所以かもしれません。
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「初花」という名前が付いた茶入れを送っています。
足利義政が使ったとされた茶入れです。
この茶入れというのはその名の通り、お茶をたてるときの抹茶を入れる道具です。
お茶会が戦国時代の武士同士のたしなみで情報交換も行われていた時代です。
こういった茶器が今とは考えられないくらいの高価な値打ちであったのです。
秀吉にしても、こんな高価なものを贈られると悪い気はしないものです。
小牧長久手の戦い
秀吉自身が「秀吉が信雄を暗殺しようとしている」というデマを流し、小牧長久手の戦いが始まります。
秀吉の軍は統率が執れていないのを見て家康は「勝てる」と確信します。
そして本当に勝ちます。
この戦いで「秀吉に勝った唯一の武将」となった家康。
家康自身にもこの勝利は後年まで切り札になっていくのです。
1970年代の歴史小説
ドキュメンタリータッチで一人一人の立場に即して書かれた小説。
戦後25年に当たるこの年。
まだまだ戦後の敗戦があった時代。
「こういう戦いをしていたら負けなかったのでは?」という思いがあったのではと安部先生は推測します。
「敗戦の日」
終戦を「敗戦の日」という司馬先生。
自分自身も最終的に軍属となり、終戦の日を迎えます。
その時に「なぜこんな馬鹿な戦争をする国に生まれたのか」という思いから「昔の日本人は、もう少しましだったのではないか」という思いに繋がります。
司馬先生自身は「敗戦の日」の自分自身への手紙が自身の作品であると言う事は色んなエッセイやインタビューで明言されています。
また、これらの作品が当時の日本人を鼓舞していたのも事実です。
空手チョップ
「力道山の空手チョップ」というのが若い人たちには分かりにくいと思います。
戦後の日本人でプロレスラーで力道山(りきどうざん)という人がいました。
この人がものすごく強かったので当時の日本人は熱狂的に彼を応援しました。
空手チョップは力道山の必殺技でした。
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敗戦に打ちひしがれていた日本人が「過去の日本人にこんな素晴らしい人物がいた」と思うことで胸のすく思いもしたのではというのです。
司馬作品を読む事と空手チョップを同列におくのもなかなか面白い趣向です。
へうげもの
家康が秀吉に贈った「茶入れ」にもあるようにこの時代は武士にとって「茶道」はたしなみであり、重要な情報源のサロンであったと言う事は案外知られていません。
この当時の「茶道」と「茶道具」への思い入れ、時に政治的に使われ、命さえも危うくなるという背景を元に書かれた漫画が「へうげもの」です。
全25巻完結しています。
また、アニメにもなった作品です。
第4回 後世の基盤をどう築いたか
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司馬遼太郎“覇王の家” (4)後世の基盤をどう築いたか
初回放送日: 2023年8月28日「覇王の家」では意外にもクライマックスといえる「関ヶ原の戦い」「大阪の陣」が一切書かれない。「一度書いたものは二度書かない」という司馬の作家倫理によるものだ。
司馬が注目するのは、最晩年の家康が後世の盤石な基盤づくりのための秘法を側近たちに告げるシーン。「譜代を冷遇し外様を優遇する」という一見不可解な策には家康ならではの企みがあった。安部さんはそこに書かれたかもしれない「家康の未来へのビジョン」を作家的想像力で補う。第四回は、司馬が書かなかったことや、逆に周到に描いたラストシーンを通して、家康がどんな国家像やビジョンをもっていたかを読み解く。
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/PNJMV48N77/
秀吉への恭順は納得がいかない家臣たち
小牧・長久手の戦いで大勝をしたはずの家康に家臣の石川数正は秀吉に恭順するように勧めます。
これが家臣の中では大不評。
しかし、数正の意見を飲み込んで家康は表面的には秀吉に従います。
秀吉は「関白」となり、事実上、天下人となっていたのです。
家康は秀吉に心酔していたわけではなく
秀吉も家康をなめていたわけではありません。
戦いに勝った家康は次男(於義丸)を秀吉に人質に差し出し秀吉もまた自分の妹(朝日姫)を家康の正妻にします。
しかも、秀吉の妹の朝日は夫があったのに秀吉の命により強制的に離縁させられたうえでのことでした。
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この時に人質となった家康の次男は後の二代将軍秀忠です。
家康の子供を軽んじるどころかとても大切に育てていた事が分かります。
また、秀吉の妹は家康の妻になるために強制的に離縁されていますが、この秀吉の妹に対しても家康はとても真摯であったのは母親の病状が良くない時に見舞いに行かせている事ですね。
この見舞いに行って帰ってこなくなると言う事も考えられたと思います。
それでも見舞いに行かせ、また家康の元に帰ってきています。
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三河人かたぎ
三河人は排他的である一方で義理人情に篤いという一面があると言います。
この時に石川数正は家康に対して「秀吉に恭順するよう」に進言したことで立場は悪くなります。
その一方で謁見した秀吉に魅せられそのまま秀吉の元へ行きます。
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指南役の安部先生は石川数正は家康と秀吉の緩衝材になるために出奔したのではないかと仮説を立てています。安部先生はちょっぴり石川数正贔屓のようです。
覇王の家の終焉
小牧・長久手の戦いの後、家康の臨終に飛びます。
関ケ原の戦いも、大坂冬の陣、夏の陣も描かれません。
それは、この時期に既に司馬遼太郎がこの時代を元にした作品を発表していたからだと言います。
司馬作品でこれらの戦いは「関ケ原」「城塞」で描かれています。
司馬作品について
50年前の作品なので当時、明らかにされていなかった歴史や研究があるので古い部分もある。しかし、「その作品に向かった情熱は新しい」としてこのシリーズは終わります。
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最後に伊集院さんからのリクエストで石川数正贔屓の安部先生に「石川数正」について書かれてはという案がありました。先生は「大きな宿題をいただきました」と嬉しそうにされていました。本当に書いて頂けるでしょうか?楽しみですね。
関ケ原
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「覇王の家」で描かれなった関ケ原の戦いです。
城塞
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大坂冬の陣、夏の陣のお話です。
秀頼、淀君の最期、真田丸の活躍も描かれます。