
絵本スペシャルはどこかで聞き覚えのあるあの本たちの登場です。
各回、お馴染みの先生方が指南役になります。
お好きな本をどうぞ。
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(1)佐野洋子「100万回生きたねこ」
絵本スペシャル (1)佐野洋子「100万回生きたねこ」
初回放送日3月2日(月)午後10:25
100万回死んで、100万回も生きたねこの数奇な運命を描いた「100万回生きたねこ」は、心を打つ物語として愛されながら謎も多い作品とされてきた。深く読み解くことで、大人も子供も含めて、「生きることと死ぬこと」の奥深さを学べるという宮崎哲弥さんに、この本の哲学的な意味を解説してもらう。

誰しも知っている「100万回生きたねこ」
1977年に発表された半世紀以上愛されている絵本です。
本屋さんで今も見かけます。
また読んでみたい。そんな感想をご一緒にどうぞ。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | 100万回生きたねこ |
| 作者 | 佐野洋子 |
| 出版社 | 講談社 |
| 出版年 | 1977年 |
| ジャンル | 絵本・寓話 |
| ページ数 | 約32ページ |
| 発行部数 | 国内250万部以上 |

作品の特徴を考えてみましょう。
100万回死んで、100万回生きた猫という強烈な設定。
最後は「のらねこ」でしたが、自由で自分自身を生きて初めて泣きます。
そして、生き返る事はなかったのです。
自分の人生を全うしたのかなあ…。
白い猫と出会って初めて「生きた」猫
100万回生きたねこの猫は、それまで王様の猫になったり、船乗りの猫になったり、サーカスの猫になったりと、100万回も生きてきました。
ところが、最後に一匹の白い猫と出会います。
それまで自由気ままに生きていた猫ですが、白い猫と出会ったことで、初めて誰かを大切に思うようになります。
やがて二匹は一緒に暮らし、子どもたちが生まれ、一つの家庭のような時間を過ごしていきます。
散々生きてきた猫でしたが、このとき初めて、穏やかな日常の中で生きる喜びを知ったのではないでしょうか。
そして白い猫が死んだとき、猫は初めて涙を流します。
100万回生きても泣かなかった猫が、初めて流した涙でした。
もしかすると猫は、この白い猫と過ごした時間の中で、初めて自分の人生を生きたのかもしれません。

100万回生きたねこはこの後、転生しません。
生まれ変わらないんです。
この人生と言うか猫生は、普通の人生で終わるということなんですね。
自分自身が生きた人生で全うするということなんでしょうか?
佐野洋子さんのお勧め著作
彼女は絵本だけではなく、数多くのエッセイも残しています。
その中でも特に印象的なのが、母との関係を書いた作品
『シズコさん』です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | シズコさん |
| 作者 | 佐野洋子 |
| ジャンル | エッセイ |
| 内容 | 母・シズコとの関係を描いた作品 |
| テーマ | 母娘関係、老い、家族、人生 |

この作品では、佐野洋子さんの母であるシズコさんとの複雑な関係が率直に語られています。
自分の母を「お母さん」ではなく「シズコさん」と言ってしまう娘。
今で言う毒親なんかに起因するお話かなと思いました。
佐野洋子さんは、母を理想化することなく、ときに辛辣な言葉で、正直に描いています。
今回の関連図書一覧
(2)ダビデ・カリ他「だれのせい?」
絵本スペシャル (2)ダビデ・カリ他「だれのせい?」
初回放送日NHK教育テレビジョン3月9日(月)午後10:25
自慢の剣でどんなものでもまっぷたつにしてしまうクマが、ある日突然家を壊され「だれのせい」なのかと犯人探しを始める。自らが原因だったと知ったときクマがとった行動は? ヤマザキマリさんがイタリア語で愛読し、作者の思いの強さをかみしめた絵本を、分断社会の中、人々がどんな風に絆を取り戻していくかを考える名著として読み解く。

素敵なイタリアの絵本。
翻訳もご自分で手掛けれられたというヤマザキマリさんによる解説です。
キレイなイラストにはいろんな仕掛けが???
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 書名 | だれのせい? |
| 原題 | Colpa di chi? |
| 作者 | ダビデ・カリ |
| 絵 | レジーナ・ルック=トゥーンペレ |
| 翻訳 | ヤマザキマリ |
| 初版 | 2023年2月1日 |
| 判型 | A4判 |
| ページ数 | 40ページ |
| 製本 | 上製本 |
| 原書言語 | イタリア語 |
| 受賞 | 第15回ようちえん絵本大賞 |
絵本『だれのせい?』のあらすじ
森に、誇り高いクマの兵士がいました。
自慢の剣の切れ味を試すため、クマは森の木を次々と切り倒していきます。
その姿はまさに勇ましい戦士そのもの。

ところがある日、思いがけない出来事が起こります。
上流のダムからあふれた水が流れ込み、クマが大切にしていた砦が壊れてしまったのです。
怒りに震えたクマは叫びます。
「オレさまの砦を壊したのはだれだ?」
こうしてクマの「犯人探し」が始まります。
森の動物たちに問いかけながら、原因を一つずつさかのぼっていくクマ。
しかし、その先に待っていたのは、思いもよらない「本当の原因」でした。

原因はクマ自身だったのです。
感想
つい私たちは、何か問題が起きると「誰かのせい」にしたり、相手を犯人扱いしてしまいがちです。
しかし、この物語を読んでいると、そうした行動が巡り巡って自分に返ってくることを思い知らされます。

なんとも身につまされる話だと感じました。
また、現代は物事を単純に「勧善懲悪」で判断しがちな風潮がありますが、この絵本はそうした考え方にも静かに一石を投じているように思います。

子ども向けの絵本ではありますが、むしろ大人こそ読むべき一冊だと感じました。
(3)田島征三「ぼくのこえがきこえますか」

いきなり主人公は戦争で死んでしまいます。
でも、主人公の心は、弟と母親に復讐には向かわないでほしいと訴えかける絵本です。
(3)田島征三「ぼくのこえがきこえますか」
初回放送日NHK教育テレビジョン3月16日(月)午後10:25
「戦場で砲弾にふきとばされたぼくの体はとびちり、足も顔もなくなりました。でも、ぼくの心は弟の怒りを見、母さんの悲しみを見ます」。戦争体験をもつ作者が戦争を二度と起こさないという祈りを込めて描いた絵本には、憎悪と復讐がどれだけむなしいものかというメッセージや戦争を起こそうとする黒い影が子供にもわかるような平明に表現されている。戦争の災禍を実際に体験したサヘル・ローズさんの読み解きとは?
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 書名 | ぼくのこえがきこえますか |
| シリーズ | 日・中・韓平和絵本 |
| 作者 | 田島征三 |
| 発売日 | 2012年6月20日 |
| 判型 | B5変型ワイド判 |
| ページ数 | 32ページ |
| ジャンル | 絵本・児童書(平和・戦争テーマ) |
絵本『ぼくのこえがきこえますか?』のあらすじ

主人公は戦争で命を失ってしまいます。
そして…。
「くにのためにたたかえ」と励まされ、戦争へ向かった「ぼく」。
戦場でぼくは人間に向かって鉄砲を撃ちます。
しかし、敵の砲弾が命中し、ぼくの体は吹き飛んでしまいます。
それでも、ぼくの「心」は残りました。
ぼくの心は、弟の怒りを見ます。
そして、母の深い悲しみを見ます。
さらに弟が復讐の思いを抱き、戦争へ行こうとしていることを知ります。
――やめろ。
ぼくの心は必死に叫びます。

主人公は戦争で命を失ってしまいますが、遺された弟や母に復讐をしてほしいとは思っていませんでした。
弟が戦争に行く事で今度はお母さんがたった一人で残されてしまうからです。
復讐をせずに戦争をしないことを選択してほしいという文字通りの魂の叫びがこの絵本です
感想

指南役のサヘル・ローズさんの生い立ちが語られました。
1980年、イラン・イラク戦争で孤児になったサヘルさん。
彼女の養母となった今のお母さんは
「イラクを恨まないでほしい。戦争は勝ち負けではない。向こうにもあなたと同じようにサヘルが存在する」
と言ったのだそうです。
お母さん自身もイラン・イラク戦争の最中、苦しい思いをした人のはずです。
それを「恨まないでほしい」と教え、養女に伝えるというのは並大抵のことでは出来ません。
サヘルさん自身も、それがなければ実の親の命を奪われた復讐をするために、自分自身も銃を持ち、少女兵になっていたかもしれないと言います。

その時に出会った人や、出会った言葉で、人はそれほどまでに変わってしまうのです。
また、番組中で、花火の音が爆音に聞こえてしまい、フラッシュバックしてしまうという話も明かされました。
サヘルさんは8歳の時に来日して以来、戦争のない日本にいるわけですが、それでも花火を美しいものとして受け止めることが出来ないのです。

それだけ、戦争の記憶は人生に深い打撃を与えてしまうのです。
ヨルダンの難民キャンプで、シリアの子どもたちが通っている母子センターに行った時の話も壮絶です。
その親の世代である大人たちに「どの国の人か」と問われたとき、
「イラン」と答えたところ、
「この人殺し、出ていけ」と言われたと言います。
今、支援してくれている人であっても、シリアの人たちにとっては、自分たちの家族が殺された背景にイランがあった。
だから、イランの人間の顔は見たくもない。

当然のように、目の前にいる人であっても憎くて仕方ないというのが本音でした。
サヘルさんのお母さんとは、まったく違う考え方です。
ですが、戦争で親兄弟が殺された人であれば、そうなるかもしれない。
憎しみのタネが、戦争で生き延びた人たちの心に残されてしまったのです。
作者の思い
作者のインタビューもありました。
田島征三さん、86歳でご健在です。
「どこの国の人にも、どの時代の人にも説得力のある絵本にしなくてはならない」
そういう思いの下で作成されたことを語られていました。
確かに、誰であるのかも、国名も明らかにされていません。
どの国の戦争なのかも分かりません。
人種も年齢も分かりません。
こういうことで、戦争をしている国にはどこでも当てはまってしまう現実なのだと思うのです。
戦争を仕掛ける人は、決して戦地で死ぬことはないのです。
市井の人間が普通に過ごし、普通に家族と暮らしている一般人が、命を落としていくのです。

憎しみは、決して何も生み出さない。
絵本の結末
絵本では、弟は兄の思いもむなしく、戦争に赴いて自分の命を散らしてしまいます。
ここで、遺されたのは2人の息子を失った母親ということなのです。

復讐は何にもならない。
戦争はしない方がいい。
(4)シルヴァスタイン「おおきな木」

翻訳者は村上春樹さん!
それだけで期待度は上がります。
「おおきな木」は仲良しの少年が望んだものを全部与えていきます。
絵本スペシャル (4)シルヴァスタイン「おおきな木」
初回放送日NHK教育テレビジョン3月23日(月)午後10:25
幼い男の子が成長し、老人になるまで、温かく見守り続ける1本の木。木は自分の全てを彼に与えてしまう。それでも木は幸せだった…。無償の愛のかけがえなさ、そんな愛に支えられたとき人はどんな風に生きていくことができるのか。厳しさを増す競争社会で生きづらさにあえぐ現代人に「ある愛のかたち」を教えてくれるこの絵本の奥深さを読み解く。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 書名 | おおきな木 |
| 原題 | The Giving Tree |
| 作者 | シェル・シルヴァスタイン |
| 翻訳 | 村上春樹 |
| 発売日 | 2010年9月 |
| 判型 | A5変型判 |
| サイズ | 約23 × 19 × 1.2 cm |
| ページ数 | 約60ページ |
| 原作出版 | 1964年(アメリカ) |
| 分類 | 絵本・児童文学 |
絵本『おおきな木』のあらすじ

ひとりの男の子と、一本のりんごの木のお話です。
小さな頃、男の子は毎日のように木のところへやってきます。
木に登ったり、りんごを食べたり、枝で遊んだりして過ごします。
木は男の子と一緒にいることがとても幸せでした。
やがて男の子は大きくなり、木のところへ来ることが少なくなります。
久しぶりにやって来た男の子は、お金を欲しがります。
木はリンゴを与えます。
さらに年月が過ぎ、男は家を欲しがります。
木は自分の枝を与えます。
男が年老いた老人になって、舟を欲しがります。
木は自分の幹さえも差し出します。
長い年月が過ぎ、年老いた男が再び木のところへ戻ってきます。
もう木には枝も実も幹もありません。
残ったのは、腰掛けられる切り株だけ。
男はそこに座って休みます。
そして木は、それでも幸せでした。

りんごの木は自分自身をすべて提供したということなのですね。
これで本当に幸せだったのでしょうか?
放送後、感想をアップしていきたいと思います。
感想

ざっとあらすじを読んで、皆さんはどう思われましたか?
木は与える存在で、少年はそれを良いことに次々と要求します。
今の言葉に置き換えるなら、木はギバー。
少年はテイカーということになります。
この原題は「The Giving Tree」。
Givingは与え続けるという意味なので、直訳すれば「与え続ける木」ということになりそうです。
それを日本では「おおきな木」としています。
何でも欲しがる少年には罰が当たりそうですが、この物語では、木は与え続けて命を失ってしまいます。
それで木は幸せだったのか否か…。
木はどこまでも寄り添う。
でも、その経験の中で、少年が目覚めていくことを求めているのです。
絵本の構成でも、少年が子どもの頃は文字が少ないのです。
木と少年の心が通じ合っている感じがします。
しかし、大人になるにつれて文字が多くなります。
子どもの頃は言葉が少なくても通じ合っていたものが、失われてしまっているのではないか――というのが、指南役の若松先生のお考えです。
結論として、木は与え続け、命も失ってしまいます。
命さえも与えた、と言っていいかもしれません。
しかし、大人になった少年は罰が当たるわけでもなく、木を失っても泣くわけでもないのです。

少しホラーのようにも感じられます。
一方的に与え、奪われ、何も返してくれなかった少年。
木は少年にアドバイスを与えなかったし、注意もしませんでした。
ただ、与え続けただけ。
アドバイスをしてくれない人が、自分のことを思っていないわけではなく…。
人と人とのつながりには、あえて言わないことがたくさんあるのです。
それもまた、人間関係で大事にしたいことだというのです。
アドバイスをしないという選択は、人間にはできる。
AIにはできない。

AIは聞かれたことには答えるので、人間のようにあえて沈黙することは選べないのです。
これは意外な盲点でした。
木が切り株だけになってしまったときのセリフ。
「それで木は幸せに…なんてなれませんよね。」

これが、誰の言葉なのか分からないのです。
面白いことに、絵本が発行された後にアニメーション化された際、この文章は削除されています。
作者のシルヴェスタインも「なくても良かったのではないか」と判断したのでは――というのが、指南役の若松先生の推測です。
これも興味深い見解だと思いました。
最後の一文は――
「それで木はしあわせでした。おしまい」
切り株だけになった木に、老人となった少年が一人腰かけて終わります。
何も所有していない人間が、ただ存在しているだけなのです。
「所有」とは「能力」という言葉に置き換えられる。
そして、人は本当に大事な居場所を、心の深いところで求めているのです。
少年にとっても、木はそこにあるだけで満足だった。
そして、その木さえ失い、老人となった少年には、その切り株だけが自分の居場所として残った。
そういうことなのだろうかと思いました。
木にとっては、少年がいるだけでよかった。
少年にとっても、そうだったのかもしれない。
何とも深い、深読みになりました。

解釈は人それぞれで変わってくると思います。
ぜひ、皆さんがどう感じたのかも教えていただきたいです。


