東条英機の評伝
東条英機の評伝を書くにあたり、保阪さん自身も命がけの決断だったのだと思います。
自分自身も妻子がある中です。
東条かつ子夫人がご存命だった時に保阪さんは手紙を出して30回以上の面会をされたそうです。
戦争がはじまると決まった日に東条英機は布団の上で皇居に向かって泣いていたと言うのです。
「泣く」というのは最後の手段という保阪さん。
涙でごまかされている。
戦争というものを感情としてしか見られない。
家族は受け入れられない
戦争に対して真実を話す人はほとんどいません。
人の心を抉る事だからです。
残虐行為をしたという話をした話を聞くときに応接間でなく荒川の土手で話すことにしたと言います。
それは「応接間」でお茶を飲みながら話をする事でもまた聞く側としてもいたたまれないからというのです。
実はこの話を「ある政党」の人が聞きに来て話せること話したと言うのです。
家には誰もいないと思っていたその時に、息子が聞いていたのです。
そして、その息子は残虐行為をしていた父を非難し、二度と会わない事となりました。
保阪さんはインタビューの前にこの話を知っていたわけではありません。
でも、「証言」を聞くと言うのは「その人の人生」や本当は言いたくない事まで一緒に背負って行かなければならないのです。
1:1:8の法則
4000人を超える取材を行ってきた保阪正康氏。
感覚として1:1:8を持っておられます。
1割 正直な人(自分の記憶が整理されている人)
1割 嘘をつく人(自分の都合で記憶を改ざんする人)
8割 記憶を美化する人(私たち)
私たちは審判者(アンパイア)でなければならない。
「証言」を聞くには「嘘を見抜く力」が必要です。
「嘘」だったとして「どうして嘘をつく必要があるのか?」まで見抜く必要があると言うのです。
それは何度も対話を繰り返し、見抜いていくのです。
戦争で大きな問題点を2つ
戦争とは戦争を始めた時点で「敗者」である。
核抑止力の平和論は「ロシア」に対しては何の抑止力にもならない。
今後への課題
戦争への話を受け継いでいかないといけない。
日本は江戸時代から270年以上外国と戦争をしてこなかった国なのに明治以降10年おきに大きな戦争をしている。
戦争末期には人を爆弾にし、最後まで戦うという近現代のルールを全く無視していった事実を伝えていく必要があるのです。
また国民の一人一人も愚昧であってはならず、国民の一人一人が「主権」を持っているのだから、自分の権利を諦めない姿勢が大事。
次の世代に伝えていく
戦争を体験した人たちは傷を負っている人が多い。
その人たちの「証言」は一生を背負っている部分がある。
それを引き継いでいく事。
おススメ書籍
保阪さんは著作が多く、すべての本がおススメと言って過言ではありません。
私が特にそう思うのはこのインタビュー内でも繰り返し言われた「証言」の「資料」であると言う位置づけが大きいと思うからです。
東条英機と天皇の時代
今回冒頭で紹介された本です。
当事者のインタビューと取材を真摯にまとめています。
戦争と天災のあいだ―記録の改竄、記憶の捏造に抗して
北海道で行われた対談のまとめです。
この中で泣き叫ぶ特攻隊員を無理やり乗せて出撃させたと言う衝撃的な話が掲載されています。
この「証言」をした人は当時の整備員の一人で、この話をする時に保阪さんの講演に自ら赴いたのです。
高齢化し、杖を突いていたと言う証言者。
保阪さんの控室で話を聞いたそうですが、この時でさえ、付き添っていた家族には外に出るようにと当事者が言ったのです。
「事実」を証言しなければという志がある一方で家族には知られたくないと言う現実がこの本でも垣間見られます。
かなり入手困難本になっていますが、コラムなどで良く引用される本です。
入手可能なリンクを貼っておきます。