
『万葉集』というと、難しい古典というイメージを持つ人も多いのではないでしょうか。
意外や意外、恋バナやSNSなど今に通じるものも多いのです。
令和の典拠となった『万葉集』。今回は、この歌集に込められた人々の思いを掘り下げていきましょう。
(1)歌はコミュニケーション
(1)歌はコミュニケーション
初回放送日:2026年10月5日(月) 午後10:25
日々の出来事や、印象に残った瞬間の写真をSNSに投稿するかのように、万葉人は歌を詠み、思いや感動を共有していた。家族の日常も記録されている。公卿である大伴家では、秋、都で働く家持と、荘園にある田の収穫を監督する家族が別れて暮らしていた。そして家族の間で歌を盛んに交わし、近況を報告しあい、互いの労をねぎらっていた。第1回では、万葉人の歌によるコミュニケーションを通して、その暮らしと思いを描く。
『万葉集』は古代のSNS?
学校の授業で習う『万葉集』に、難しい古典というイメージを持っていませんか?
けれど、歌に込められた思いに目を向けると、約1300年前の人々も、私たちと同じように恋愛に悩み、日常の出来事を伝え、言葉のやり取りを楽しんでいたことが分かります。
現代のSNSにたとえるなら、和歌は自分の気持ちを誰かに届けるためのメッセージだったのかもしれません。
今回は、そんな『万葉集』に残された、現代にも通じるコミュニケーションです。
相手の言葉を返す、古代のラップバトル
『万葉集』には、男女が歌を返し合う「問答歌」があります。
女性の歌
「なるかみの しましとよもし さしくもり あめもふらぬけ きみをとどめむ」
(雷が鳴って雨でも降らないかしら。あなたを引き留めたいから)
男性の歌
「なるかみの しましとよもし ふらずとも わはとどらまむ いもしとどめば」
(雷が少し鳴りさえすれば、雨が降らなくても私はここに留まろう。あなたが引き留めてくれるなら)
女性は、雨が降れば相手が帰らずに済むのに、と願います。それに対して男性は、女性の歌の言葉を繰り返しながら、自分の気持ちを返しました。
相手の言葉を受け取り、同じ言葉を使って気の利いた返事をする。現代のSNSでのやり取りや、ラップバトルにも通じる面白さがあります。
約1300年前にも、言葉を交わしながら相手との距離を縮めようとする人々がいたのです。

「なるかみの」と言われてまた同じ言葉を筆頭にして返すというのがとてもシャレていますね。
恋人の名前を告げる、切実な思い
中臣宅守(なかとみのやかもり)は、恋人の狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)と離れ離れになりました。
そんな宅守が詠んだ歌です。
「かしこみと のらずありしを
みこしぢの たむけにたちて
いもがなのりつ」
(恐れ多くて口に出さずにいたのに、越へ向かう道の手向けの場で、とうとう愛しい人の名を告げてしまった)

この二人の恋は、当時の宮廷社会では許されないものだったようです。
娘子は宮廷に仕える女官で、二人の結婚が宅守の配流につながったと伝えられています。
旅の途中で神に手向けをする習俗と、恋人の名前を告げる行為が結びついた歌です。
なぜ、それまで口にしなかった名前を告げたのでしょうか。
愛しい人と離れた宅守にとって、無事に旅を続け、いつか再会することは切実な願いだったはずです。神に祈る場面で恋人の名を告げる行為には、相手を思う気持ちが重なっているように感じられます。
現代にたとえるなら、大切な人にまつわる秘密を打ち明けるようなものかもしれません。名前を口にすることにも、特別な思いが込められていたのです。
煙の向こうに見える、春の日常
『万葉集』には、春の野原の風景を詠んだ歌もあります。
「かすがのに けぶりたつみゆ
をとめらし はるののうはぎ
つみてにらしも」
(春日野に煙が立っている。乙女たちが春の野でヨメナを摘み、煮ているらしい)
*ヨメナ(嫁菜)は、春から秋にかけて野山に生えるキク科の多年草で、若葉は食用にもなります。
煙が立ち上る様子から、その向こうで野草を摘み、料理をしている人々の姿を想像する歌です。作者は分かっていません。
現代のSNSでも、写真を一枚見ただけで、投稿した人が何をしているのか、どんな時間を過ごしているのか想像することがあります。
この歌にも、目に見える風景だけでなく、その先にある人々の暮らしまで思い描かせる魅力があります。

若菜摘みをしてそれを材料にして料理をしてみんなで集まるという趣向ですね。
そこで男女が集まるわけですから恋の予感がここでもあります。
今のピクニックや合コンをしましょうという事なんでしょうね。
伯母と甥が楽しむ、恋人同士のような歌
大伴家持(おおとものやかもち)と伯母の大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の間には、恋人同士のような言葉を交わす歌が残されています。
家持の歌
「たまほこの みちはとおけど
はしきやし いもをあいみに
いでてぞあがこし」
(道のりは遠いけれど、あなたに会いに私は出かけて来ました)
坂上郎女の歌
「あらたまの つきたつまでに
きまさねば ゆめにしみつつ
おもひそわがせし」
(月が改まるまでいらっしゃらないので、夢にまで見ながらあなたを思っていました)
実際には伯母と甥ですが、歌の中では恋人同士のようなやり取りをしています。
現代でいえば、身内同士で役柄を演じて楽しむ即興劇のようなもの。和歌は気持ちを伝えるだけでなく、言葉を使って相手と遊ぶ手段でもあったのです。

まるで恋の話かのような冗談をやり取りしているのです。
この場合は禁断の恋ではなくてウィットの利いたジョークなのです。
『万葉集』は人々の思いが詰まった記録
『万葉集』には、相手の言葉を受けて返す恋の歌、愛しい人の名前を告げる歌、景色から暮らしを想像する歌、そして言葉や贈り物を通じて交流する歌が残されています。
もちろん、古代の和歌と現代のSNSは同じものではありません。それでも、誰かに気持ちを伝えたい、自分の思いを分かってほしいという願いには、共通するものがあるのではないでしょうか。
難しい古典という先入観を少し横に置いて、歌に込められた人々の思いを想像してみる。
そうすれば『万葉集』は、遠い昔の文学ではなく、約1300年前を生きた人々の声が聞こえてくる、身近な作品になるかもしれません。

