ラグビーの平尾誠二さん。
iPS細胞の山中先生。
このお二人の友情物語がドラマで放送されました。
平尾誠二さんと山中伸弥先生の友情物語
平尾誠二さんはラグビーの名選手で名指導者。
このドラマが始まる前に「徹子の部屋」で山中伸弥先生がご出演されて平尾さんの思い出話を語られました。
40歳を過ぎてから対談を経て山中先生と平尾さんは親友になられました。
山中先生にとってもラグビーの平尾さんと言えば憧れの人でした。
全くの同い年、関西の出身、共通点はあるとはいえ、とても手の届かない人でした。
間違いなくスーパースターでした。
そんな人が自分に対談を申し込んでくれたのです。
iPS細胞を発見された後、ノーベル賞間違いなしと言われていた当時の山中先生は取材を断らなければならないほどでしたが、平尾さんの取材は喜んで受けたのです。
それくらいの憧れの人でした。
その件(くだん)のスーパースター平尾さんも山中先生を「ナイスガイやった!」と奥様に報告されるほどウマが合いました。
この取材をきっかけにお二人は家族ぐるみのお付き合いをされていきます。
お互いに親友と呼べる間柄です。
ドラマでは、平尾さんを本木雅弘さん。
山中先生を滝藤賢一さんがそれぞれ演じられます。
これが驚くほど本人に寄せていて、最初に山中先生の前に現れた平尾さんは俳優である本木雅弘さんと分かっていても「平尾さん」にしか見えませんでした。
実際の平尾さんは大柄な方で本木さんはそこまで大きな方ではありません。
それでも、そこにいたのは平尾さんでした。
ノーベル賞を獲った山中先生に
山中先生は平尾さんと出会って親友と呼べる間柄になって間もなくノーベル賞を獲ります。
時代の寵児となり、研究に対して理解も深まり支援してくれる人がいる一方でそうでない人も多く、理不尽な要求をしてくる人も多い事を平尾さんに話します。
その時に、平尾さんは
「先生…人生は理不尽の連続や。
生きてたらしんどい事があるのは当たり前。
そう思わな。理不尽な批判にエネルギー使ってもしゃあないですわ。
理不尽ほど面白がらな。
応援はありがたく受け入れる。
けど余計な事は気にしない!これがコツや」
ドラマで採用されたセリフですが、こういう事を平尾さんは山中先生に言われたそうです。
こういうスピリット(精神)がミスター・ラグビーと言われた所以なのかなと思いました。
この平尾さん、体調が悪くて訪れた病院で末期の癌である事が発覚します。
山中先生もこの事実を知った時に、受け入れらないほどの衝撃を受けていました。
このドラマの原作となった山中先生の著書「友情」でもこの時の事は克明に書かれています。
ここまでの病状で自覚症状はなかったものだろうか?という事や、そもそも、ここまでの状態で気が付かない事はあるのだろうか?と、思う程の状態だったのです。
そして、経緯を知った山中先生は親友を失うかもしれない現実に一人、風呂場でシャワーを浴びながら号泣します。
自分の病状を最初から知っていた平尾さん
平尾さんは病気が見つかった時点で「余命3か月」と言われています。
知るのは家族と一部の人だけでした。
もちろん、本人にはそういうことを言わないでいるという体制でした。
ですが、これも平尾さんの事を書いた2冊目の著書「友情2」で明らかにされますが、平尾さんの病状を知っていち早く駆け付けた人の中に本人に病状を告げた人がいたのです。
この事は家族も何も知らなかったのですが、平尾さんを知る人たちの寄稿の中にその事実がありました。
つまり、平尾さんは笑顔で病気と闘いながら、本当の所は自分にはもう時間がない事を知っていたのです。
この事実を知った平尾さんの奥さんも本人が知らないとばかり思っていたのを最初から自分の病状を知っていた事実に驚愕しています。
もちろん、告げた人も平尾さんを想っての事だった事は重々想像できるのですが、それでもこれは何とも辛い現実でした。
もちろん、平尾さんは最初から知っていた事を家族に告げる事もありませんでした。
二度の治験
ドラマの中では平尾さんが二度の免疫療法における治験を受けている事が明かされます。
ですが、この二度の免疫療法における治験は世界で初の試みでした。
病気治療と言えば聞こえは良いですが、「治験」は飽くまで「治験」です。
この結果でどういう結果が出るか分からないのです。
おまけに世界で類例を観ないとすれば、簡単に受け入れられる人はいないと考えるのが普通で、山中先生もそう思っていたのです。
でも平尾さんは「世界初やって!」と上機嫌で奥さんと共に喜んだそうです。
不安よりも挑戦する姿勢に山中先生も本当に驚かれたものの、だからこそラグビーを牽引してきたと思われたそうです。
二度目の治験はオプジーボ(ニボルマブ)です。
これもこの後、ノーベル賞を獲る事になる本庶先生が開発したものです。
何と平尾さんは山中先生、本庶先生という二人のノーベル賞受賞者に大きく関わった事になるのです。
痩せていく平尾さん
急激に病状が悪くなっていく平尾さん。
この状況に寄せて平尾さん役の本木雅弘さんも痩せて行きます。
この役の為に10キロ痩せたのだとか…。
痩せていき、覇気がなくなってくる平尾さん。
それでも、ラグビーへの熱は冷めません。
病床の中で何度もラグビーの試合を見返し、自分のチームに対してアドバイスをします。
その声はしわがれてきて、息も絶え絶えになります。
電話越しでアドバイスを受けるチームマネージャーも聞くのも辛かった様子が再現されます。
もうきちんと伝えられたかどうかも分からない。
そんな中でチームマネージャーは電話越しに「ありがとうございます」と涙声でお礼を言います。
余命三か月から1年で天国へ
病気が見つかった時は3か月持たないと言われていた平尾さんが1年をすぎて天国へ行きました。
でも、その1年は平尾さんご本人と、ご家族、関係者の努力によって延びた命でした。
葬儀の時に山中先生は「君の事を治すことが出来なくて本当にごめんなさい」と弔辞を述べます。
あんなに忙しい山中先生が親友の為に自分とは違う分野の勉強を必死でして助かってほしいと思っていたのです。
ただ、山中先生が自分の研究にぶつかってしまった時やしょぼくれた時には平尾さんの声が聞こえるそうです。
死して朽ちず
平尾さんは天国に旅立ってしまったけれど、この方は本当に「死して朽ちず」という言葉が合う人だと思いました。
彼のスピリットは消えていません。
もしかしたら、彼に影響を受けた人たち更に躍進していくのかもしれません。
関連著書
この原作は2冊あります。
1冊目は山中先生による手記。
2冊目は平尾さんを知る人たちの寄稿を山中先生がまとめたものです。