夜回り先生の水谷修先生とは縁あって2005年に講演に伺う事が出来ました。
講演が終わった後で即売会とサイン会があったのですが、そこに並んでいた小さな子供たちに一人一人に「君は夜の世界に来ちゃいけないよ」と言われていたのが印象的でした。
子供達の中にはまだ小学校に上がる前の子たちも多く、どれだけの真意が伝わったのかは分かりません。
真摯な姿が印象的でした。
子供達の目を一人一人見て言っていました。
そんな水谷修先生の著書に書店でお目にかかりました。
衝撃的なタイトルです。
もうすぐ死に逝く私からいまを生きる君たちへ
本文に戻ります。
大学卒業後、教師という職に就いた水谷先生には同じく教師になった大学の同窓生がいました。
彼は定時制の高校の教師をしていたのですが、あまりの荒廃ぶりに教え子を「腐った生徒」という友人に怒りを覚えその友人に教師を辞めるように言います。
自分はその夜間定時制高校に異動することを願い出ます。
この時の校長先生でさえ、「なんで定時制高校なんかに行きたいのですか?」と言われる始末。
その頃の横浜の定時制高校はそこまで荒廃していたのです。
その後、水谷先生はその友人の死を知ります。
彼の奥様からは、彼は水谷先生を恨んでいたと、あなたのような熱心な教員ばかりでなく、ただ普通に教員として日々を生きていたかっただけと告げられます。
この本はそういう衝撃的な話から始まります。
子供達の名前が連なる…
本の中にはファーストネームだけですが、本名と思われる子供たちの名前がサブタイトルになっているものが多いです。
その多くは水谷先生が救えなかった子供達です。
救えなかったというのは命を救えなかったと言う事です。
最初に当たったのはドラッグに溺れる子供達でした。
貧困から、イジメ、犯罪にはまってしまうパターンです。
もし、子供の時に貧困からの盗みで警察に捕まっていた方が適切な保護を受けられてここまでの事にはならなかっただろうという例ばかりです。
(P30より 警察に捕まっていたら…(中略)助けてもらえたのに)
荒れてしまった子供たちを見て必死に愛情で更生させようとする水谷先生。
そんな時に出会った「せりがや病院」の院長先生は水谷先生にドラッグは愛情では治らない事を告げます。
専門施設で専門家の治療によるものでなければならないと言われます。
考えを改めた水谷先生も敗北の連続。
救えない命に何度悔しい思いをしたか分かりません。
ドラッグが「自己完結型」の犯罪だと言われる事にも警鐘を鳴らされています。
乱用した本人だけが命や健康を失うという意味で使われるそうですが、とんでもない事です。
ドラッグは家族や周りの人をも不幸にします。
これだけは間違えないでほしいと。
そして、行きつく先は塀の中か檻の中です。
塀の中は刑務所か少年院。
檻の中は病院です。
簡単に手に入るドラッグ、辞める事は簡単ではありません。
そして、その戦いは死ぬまで続きます。
ドラッグで90人を亡くし、心の傷で290人を亡くした水谷先生。
自分がしっかりしていなかったから殺してしまったと責めておられます。
リストカットをする子供達
水谷先生はリストカット(自傷行為)をする子供たちに出会います。
この子たちは今までの子たちとは違い決して貧困な家庭ではありませんでした。
むしろ、裕福な家庭の子供達も多く、表面上は礼儀正しく優等生に見える子供達も少なくなかったようでした。
今まで思いもしなった事でした。
こういった例が全国にあると知った水谷先生はマスコミの力を借ります。
2003年、2004年と多くマスコミに出られていたのはこの為です。
著名人になる事で教師という職を失う事も火を見るより明らかでした。
でも、高校教員という立場を失うのは嫌だったという水谷先生。
何故、辞めさせられるのが嫌だったのかは明確にされていませんが、公務員としての職位を失うからでなく行政の執行力を失う事を恐れたのではないかと思います。
マスコミの力で全国的な著名人となる事で多くの自傷行為をする子供たちとアクセスする事は出来るようになりますが、公人(行政)の執行力がなければ、こちらから踏み込むことが難しくなります。
これが、民間と行政の決定的な差です。
私が先生の講演を聞いた2005年はちょうどこの頃だったのだろうと思います。
東日本大震災
東北で起きた東日本大震災で宮城県(岩沼)の施設にいた14人の高校生と4人のスタッフが犠牲になりました。
そこは覚醒剤から脱却するための施設でした。
まだお一人のご遺体は発見されていないそうです。
そんな中、一つだけいいニュースが飛び込んできます。
気仙沼の高校生の女の子が避難所で手伝っているというのです。
その女の子は「死ぬ死ぬ」というメールを何度も送ってきて薬もいっぱい飲んでいた子でした。
避難所に来た病院の先生がたまたま彼女を診ていた担当医だったのです。
「お前は病院のプロだ。医療班に入れ」と言って彼女を引き入れたのです。
そこで避難所にいる患者のおばあちゃんの役に立って「ありがとう」と何度も言われたことが彼女を奮起させ、今は看護師として活躍しているそうです。
彼女自身も震災で家族を亡くしましたが、彼女が立ち直ったのは「人の役に立つ」というたった一つの小さなきっかけでした。
今は水谷先生の方が励まされているのです。
SNS時代になっての深刻さや講演で必ずお話されるHIVで亡くなった亜衣さんの話も書かれています。
この話を必ずするというのは亜衣さんとの約束だそうです。
相模原障碍者殺傷事件にも触れられています。
沖縄戦ガマのお話
最後の章は沖縄で犠牲になった人たちの事が語られます。
第二次大戦時、沖縄に上陸したアメリカ兵は赤ちゃんの泣き声がしたガマ(沖縄で言う洞窟、防空壕のように使われていた)に容赦なく攻撃をします。
そこには日本兵は一人もいず、ただ民間人がいただけでした。
ですが、アメリカ人は火炎放射器を浴びせ手榴弾を投げ込みます。
そこに立ち向かったのが大人たちでした。
岩を持ち、その火炎放射器に飛び込んだのです。
そして、数日後、そのガマに残っていたのは赤ちゃんだけでした。
それがどういう意味か?
大人の真似をして子供たちが自分よりも小さな命を守ろうとして同じように死んでいったのです。
これはアメリカの情報開示で明らかになった事です。
水谷先生は「いのちの糸」だと言います。
今、生きているのは当たり前でないと。
最後に私の亡くした子供たちの分まで幸せに生きてくださいと結ばれています。
読み終わっての感想
お体の具合が悪くなってからの水谷先生の著書はこれが絶筆という覚悟で書かれていると感じます。
先生の熱い言葉や、これだけの事が起きても目を背ける事はしなかった。
向き合う事を辞めなかった。何でそんな事が出来るのか?すぐ挫けてしまう自分自身にも戒めにしながら。
一人でも多くの人に読んでほしいです。