劇場版・銀河鉄道999(1979年)

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BSで放送

BSで「劇場版・銀河鉄道999」が放送されていた。
始まる前には「当時の表現の~」云々のテロップが出る。
劇場版が公開されたのは1979年。
放送されたのは2023年11月12日。
44年も経っているんですね。
そりゃ、当時の表現と今の表現では製作者側の意図が正確に伝わらないでしょうね。
世知辛いけれど、分かります。

ネタバレどころか内容を知っているという前提で書いていきます。

「メーテル~~~」の絶叫で終わるこの作品。
エンドロールを観ているとおなじみのアニメーターさんが出てきて涙が出てきた。
作画監督の小松原一男さん。
綺麗な水彩画が印象的な方でした。

動画には金田伊功さん。
スピード感のある演出がすごかった方です。

最後のアナウンスは城達也さん。

何回も観ている映画だけれど、久しぶりに観て当時の感動がまた蘇りました。

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メーテルの目的は?

鉄郎はメーテルに「タダで機械の体がもらえる星」行ける「銀河鉄道999」のパスを渡します。
999のパスはとても高価なのでタダでもらえるものではありません。
メーテルが鉄郎に出した条件は「自分も連れて行ってもらう」と言う事だけでした。

何だか、今にしてみたら条件の良すぎる甘い話です。
甘い話には裏があるというのはまさにこの事です。

メーテルの目的は機械化母星の枢軸に鉄郎を「機械のネジ」にして機械化母星を破壊する事でした。
(すいません、ざっくり説明です。細かい事はスルーしてください)

つまり、「機械の体をタダでもらえる」と言う事は嘘ではなかった。
ただし、自由はなくなるのです。

グレース
グレース

メーテル、怖い。

恐ろしい話です。
ずっと寄り添って自分をも守ってくれた宇宙一の美女が自分の機械のネジにするというのが目的だったわけですから。
永遠の命はもらえるかもしれない。
その代わり永遠の苦しみ付きなのです。
そこに留まって機械化母星を守らされるって言うんですから。

真相はメーテルが機械化母星を破壊するために自分に同意してくれる同志たちを一人また一人「機械のネジ」にしてきたのですが、怖い話です。
これは松本零士の原作の最終回でも同じ結末になりますが、この時の「ネジ」の多さです。
鉄郎が機械化母星をぶっ飛ばすときにこのネジが大量に飛び散ります。
その一つ一つがメーテルの連れてきた少年たちの末路です。
多分、その少年たちはメーテルに憧れてそれこそ恋心も持っていたかもしれない。
この結果、機械化母星は吹っ飛びます。
そして、綺麗に最終回…となったはずですが、話は「さよなら銀河鉄道999」に繋がります。

「劇場版・銀河鉄道999」で戦いは終わったはずなのに再び動乱の世の中へ行く「さよなら銀河鉄道999」
この動向に批判もあったようなのですが、私は戦いが終わってもまた再び起こるというのは人間社会の常かなとも思っています。
このお話の続きは「さよなら銀河鉄道999」を見て頂くと言う事で(笑)

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銀河鉄道999はエロティックだった

今回、たまたま観直す機会になったのですが、銀河鉄道999はエロティックですね。
冥王星でメーテルがコートを開けて鉄郎を抱きしめるシーンとか。
エメラルダスやハーロックの登場では顔よりも下半身がクローズアップされていたりとか。

服は着ているんですけれどね。
それでも、微妙なラインでエロティックな部分が無いとストーリー展開って重みをもたなくなるんですよね。

考えてみれば、ガラスのクレアはオールヌードですからね。
この辺が地上波で放送されない理由なのかもしれません。
私はリアルタイムで観ていたのでガラスのクレアがオールヌードでも全然違和感がなかったのですが、今からしてみると結構ものすごいアニメを子供の頃に観ていたんだなと思います。

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地上波で放送されない理由もその辺かも?

何でこれだけの名作が地上波で放送されないんだろうと思っていました。
BSで繰り返し放送されてもかなりの視聴率があるから放送されるわけですし。
言葉や表現が古くて放送できないと思いつつ、見直しましたが、そこまで問題になるような表現も私では見つける事はなかったです。

でも、やっぱり、あれかな?
ガラスのクレアがオールヌードだからやっぱり地上波は無理なのかな?
今までそういう風に考えた事はなかったけれど、この辺かなあと思います。
ガラスのクレアのシーンを全カットしたら話が繋がらなくなっちゃうもんなあ。

グレース
グレース

やっぱり、ガラスのクレアがダメなのか?

実はガラスのクレアは原作では1話だけのゲストキャラだったのですが、非常に人気が高く劇場版では最後まで登場させたというエピソードもあったくらいです。
脚本でもガラスのクレアありきの構成になっているので、地上波の放送はちょっと無理なのかなあと思います。

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ドクター・バンって雨森始だと思っています。

また、横に話がずれるのですが、メーテルが持っていたペンダントにはメーテルの実父が入っています。
ドクター・バンと言ってメーテルの父で、プロメシュームの夫です。
プロメシュームは1000年女王のなれの果てです。
松本零士先生が良く言われていた「遠く時の輪の接する処」で1000年女王と雨森始が夫婦になってメーテルが生まれたという説があります。
公式の見解ではないし、松本ワールドの設定は微妙な所で行き違いがある事も多く知られていますから「ファンの妄想」という域を出ないのですが、私個人の意見ではドクター・バンは雨森始であると思っています。
結果として、憎しみあう事になってしまいます。
これまでの経緯では1000年女王としてのプロメシュームはむしろ地球を救ったわけです。
そんな人が人の機械化に目覚めてしまって人の心を失っていくというのがプロメシュームです。
ドクター・バンのセリフに「哀れな女よ」というものがありますが、これがすべてを表しています。
銀河鉄道999の時代設定は西暦に換算して何年という明確な設定があるわけではありませんが、1000年女王(プロメシューム)が地球を救ってからずっと後の事です。
プロメシュームがこれだけ長い間生きているのは機械化をしていると言う事とラーメタル人だと言う事が定説の設定になっています。
そういう訳で1000年女王が地球を救った1999年からずっと後も生存していてもおかしくないと言う事です。

ただし、1000年女王の話ではプロメシュームは地球を守るために命を捧げた事になっており、何ともここでまた辻褄が合わない設定があります。
間違いなく亡くなったという設定ではないために、色んな説が出てきたと言う事も付け加えておきます。

グレース
グレース

1000年女王は「新竹取物語」だったので月に帰ったという設定とも言われています。

松本零士先生が星の海に帰った時のお話はこちら

\プロメシュームとその家族(裏設定込み)/
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是非、作品もご覧になってください。

今はVODで観る事も出来ますし、電子書籍もあります。
無料視聴できるものも多くあるようなのでどうぞご覧ください。