ドイツ文学の最高峰。
第一次大戦前、結核療養所を舞台に描かれます。
私は絶望的な話だと受け取っていましたが、指南役の先生は饒舌な切り口に注目します。
ちょっと見方を変えただけで今までとは違う感想を持った作品です。
皆さんはどう思われるでしょうか?
20世紀ドイツ文学の最高傑作の一つ『魔の山』。作家トーマス・マンをノーベル文学賞受賞のきっかけの一つになったともいわれる名著です。世界中の作家や研究者たちが今も言及し続けるなど、現代の私たちに「行き詰った近代市民社会にどう向き合ったらよいのか」「生と死の関係をどうとらえたらよいのか」といった深い問いを投げかけています。番組では、20世紀世界文学の旗手ともいえるトーマス・マン(1875-1955)の人となりにも触れながら、代表作「魔の山」にマンがこめたものを紐解いていきます。
舞台は、スイス・ダヴォースにある国際結核療養所「ベルクホーフ」。従兄のヨーアヒムを見舞うべくこの施設に滞在することになったハンス・カストルプは、病と死の臭いが蔓延した療養所の退廃的な雰囲気に翻弄されます。彼に大きな影響を与えるのは、進歩的啓蒙主義者のセテムブリーニとロシア人女性ショーシャ夫人。市民社会的倫理を体現するセテムブリーニは、平地に戻るようハンスを諭し続けますが、退廃的な香りを身にまとったショーシャ夫人に強烈に惹きつけられるハンスは、あたかも彼女に誘惑されるかのごとく施設に封じ込められていきます。やがて自らの中にも結核の徴候を見出されたハンスは長期滞在を余儀なくされ、様々な人たちと出会いながら葛藤と成長を繰り返していきます。果たして施設に閉じ込められたハンスの運命は?
ドイツ文学者の小黒康正さんによれば、第一次世界大戦直前の、成熟の果てに退廃しきって力を失いつつある市民社会の姿が、「魔の山」に象徴されているといいます。そんな中で私たちに何ができるのかを問うているのです。それだけではありません。マンが苦渋をもって見つめざるを得なかった、さまざまな思潮の対立と分断が、それぞれの登場人物に託されて描かれています。この作品は、価値観が混沌とする中で、私たちがどう生き、どう社会と向き合っていけばよいかも深く問いかけているのです。
番組ではドイツ文学者・小黒康正さんを講師に迎え『魔の山』を新たな視点で読み解き「人間が逃れようのない生の条件」やそこから炙り出される「死をどうとらえるか」「現実とどう向き合えばよいか」といった普遍的な問題について考えます。
【MC】伊集院光/安部みちこアナウンサー
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/blog/bl/p8kQkA4Pow/bp/p2DR8gZbLa/
第1回「魔の山」とは何か
トーマス・マン“魔の山” (1)「魔の山」とは何か
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/L5QRRKNZVX/
初回放送日:2024年5月6日
舞台はスイス・ダヴォースにある国際結核療養所「ベルクホーフ」。従兄ヨーアヒムを見舞うべくこの施設に滞在することになったハンス・カストルプがそこで見たものとは?
主人公ハンス・カストルプは、病と死の臭いが蔓(まん)延したこの施設の退廃的な雰囲気に翻弄される。日常とは異なった独特の時間が流れ、不意打ちのような事件が相次ぐこの「魔の山」は一体何を象徴しているのか。成熟の果てに、生と死の間で宙づりになった西欧の市民社会の行き詰まりが描かれている。第一回は、執筆背景にも触れながら、「魔の山」の時空の中に象徴的に表現されている近代社会の病弊と限界について考察する。
【指南役】小黒康正(ドイツ文学者・九州大学教授)
【朗読】玉置玲央(俳優)
【語り】小坂由里子
映画「ヴェニスに死す」の原作者として有名なトーマス・マンの最高峰の文学「魔の山」
結核のサナトリウムの文学として有名です。
指南役の小黒先生によれば魅力は「独特の語り口」だと言います。
絶望的な話だと思っていた「魔の山」が恋の茶番劇だと言います。
見方が変わっただけで随分印象が違ってしまいます。
皆さんと一緒に読み解いていきましょう。
トーマス・マンの経歴
1875 | 北ドイツ・リューベリック穀物商の家に生まれる |
1894 | 南ドイツ・ミュンヘンに移住 |
1898 | 「小男フリーデマン氏」刊行 |
1901 | 「ブデンブローク家の人々――ある家族の没落」刊行 |
1903 | 短編小説集「トリスタン」刊行 |
1905 | 結婚。3男3女に恵まれる |
1912 | 「ヴェニスに死す」刊行 |
妻カティアを見舞って3週間、スイス・ダヴォース滞在 | |
1913 | 「魔の山」執筆開始 |
1914~1918 | 第一次世界大戦 |
1918 | 評論『非政治的人間の考察』刊行 |
1924 | 小説「魔の山」刊行 |
1929 | 世界恐慌・ノーベル賞受賞 |
1933~45 | ヒトラー政権 |
1933 | 亡命・スイス・チューリヒに移住 |
1938 | アメリカに移住 |
1939~45 | 第二次世界大戦 |
1952 | ヨーロッパに戻る。スイスに定住。 |
1955 | チューリヒにて死去 |
トーマス・マンと「魔の山」執筆の経緯
魔の山を書き出したのは、自分の妻が結核になりスイス・ダヴォースに3週間滞在した事がきっかけです。
第一次世界大戦中に執筆を中断し、戦争翼賛に回ったと言います。
執筆開始後は立場を変えて進歩的な感覚になっていたのです。
執筆の中断の前と後では全く違う考えになったというトーマス・マン。
物語の感覚としては一貫しておらず、「ねじれ」があり、失敗作でもあるのです。
失敗作であるから魅力的であるのです。
「魔の山」の冒頭
ハンス・カストロフは病気の従兄を見舞ってサナトリウムへ。
まさかの自分自身も肺が悪いと診断される。
長期滞在を余儀なくされる。
この長期滞在が7年に及びます。
この冒頭には「まさか7年はかかるまい!」という言葉があります。
これは皮肉でここから物語は7年かかるという事です。
言葉も皮肉が多い
軽妙な語り口で話は続きます。
メルヘンをメールフェン。
やたらと「7」という数字が出てきます。
7日間、7年、7分、7度。
メールフェンという言葉は「昔々」くらいの意味で病気や戦争で人が亡くなるのはいつの時代もある事という事でもあるのです。
設定を明らかに1907年としている一方でどの時代てもいつでも同じような事が起こるという伏線でもあるのです。
二項対立(上の世界と下の世界)
最初の主要人物の二人は「上の世界」と「下の世界」の対比であり二項対立でもあります。
ここで「上の世界」は結核療養所の事です。
時間の流れ方がまるで違うのです。
「下の世界」ハンス・カストロプからするととても長い時間が療養所の人達にはほんの少しの時間なのです。
結核療養所での暮らし
結核療養所での暮らしはのんびりゆっくりしていて、「下の世界」の人達からすると豪勢で豊かな暮らしです。
化学療法がなかった時代なので、栄養をしっかり取って空気の良い所で療養するというのが結核の治療法だったのです。
1日に5度の食事⇒栄養を取るため
食事の合間は散歩や寝椅子⇒安静
隔週日曜日はテラスでの音楽の演奏会⇒娯楽
何と、治療と言いながら、結核療養所の方が豊かで豪勢な暮らしなのです。
こういう視点が皮肉っぽく軽妙な語り口で語られ続けます。
デカダンス(没落)
療養所の生活は豊かで豪勢でもありながらデカダンスだと言います。
ここも皮肉ですね。
デカダンスというのは没落という意味ですが、日本でも同じころに「斜陽」という言葉が流行り、「斜陽族」という人たちも現れていますから時代としてはリンクししているような気がします。
ですが、ここは療養所で街中で若い人たちが皮肉っている事とは一線を画します。
忘れてはならないのはこの話が一環として結核療養所で繰り広げられているという事なのですが、人の死や病気が日常なのにそれすらも普通のおしゃべりで展開されます。
絶望的な話なのに、終始皮肉で、笑い話のような切り口にも捉えられます。
何ともシュールな展開です。
感想
世界的に結核が蔓延していた時代の話になります。
日本でも結核の話で物語は堀辰雄の「風立ちぬ」があります。
「風立ちぬ」の刊行が1938年。
今回の「魔の山」1924年。
12年のズレがありますが、同じように結核が蔓延していたのです。
この時期の結核は特に治療法があるわけではなく、感染を避けて一般の人達とは隔絶された施設に入るというのが世界中で共通の認識だった事も改めて思い知りました。
治療とは言えども、サナトリウム(療養所)です。
良くなって退院する事はまずありません。
ですが、このサナトリウムの中では退廃的なドラマが繰り広げられます。
私自身はこの作品を初読の時、絶望的な話と捉えていました。
今回の指南役の小黒康正先生の視点は少し違います。
饒舌でおしゃべりな語り口に注目します。
語り手は確かに軽妙です。
この語り手が実に絶妙!
朗読は玉置玲央さんで驚きました。
玉置さんは大河ドラマ「光る君へ」で藤原道兼を演じました。
藤原道兼は終始ヒールであったのですが、最終的に疫病で命を落とします。
「光る君へ」での出演が終わった後に引き続いて100分de名著の朗読ということのようでした。
声が良くて、この陰鬱な物語が一気に膨らみを持たせます。
第4回までの朗読がとても楽しみになりました。
玉置玲央さんの「光る君へ」の最後の出演についてはこちら
*なぜかBGMで流れるのは「ミギとダリ」でした。
「ミギとダリ」は1990年代の神戸を舞台にした双子の兄弟が養子に行く物語です。
シュールでサイコでギャグなセンスがこの「魔の山」にリンクしているという感覚があるのかもしれません。
この作品においてNHKテキストを読みましたが、解説や蘊蓄の数々は面白いものです。
難しい話だと思われていましたし、私自身もそう思っていましたが、そこで繰り広げられる人間ドラマはこんなに面白いものだったのかと思いました。
第2回以降、この面白い人物が次々に登場します。
楽しみです。
第2回 二つの極のはざまで
トーマス・マン“魔の山” (2)二つの極のはざまで
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/JRJ3KG78V9/
初回放送日:2024年5月13日
主人公ハンスに大きな影響を与えるのは、進歩的啓蒙主義者のロドヴィーコ・セテムブリーニとロシア人女性クラウディア・ショーシャ夫人。彼はこの二人の間で右往左往する。 セテムブリーニは、平地に戻るようハンスを諭し続けるが、退廃的な香りを身にまとったショーシャ夫人に強烈に惹きつけられるハンスは、あたかも彼女に誘惑されるかのごとくこの施設に封じ込められていく。やがて自らの中にも結核の徴候を見出されたハンス。「生の力」と「死の力」に引き裂かれ続けた彼は、ついに「死と病の空間」に閉じ込められるのだった。第二回は、「生と死」の問題にどう向き合っていけばよいかを考える。
「魔の山」って何?
死が日常なのに優雅な生活が繰り広げられる「結核療養所」(サナトリウム)
「魔の山」とはこのサナトリウムの事を意味していると思います。
サナトリウムとしての「魔の山」
隔絶されたところにいる患者なのに優雅で奇妙な人間関係が繰り広げられるという意味での「魔の山」であると思われます。
優雅な患者たち
結核療養所である「ベルクホーク」の医師や患者も少し変わった人たちがいます。
ここでは二人の患者に注目していきます。
(魔の山には他にもたくさんの患者が出てきます)
ロシア人のクラウディア・ショーシャは既婚者です。
夫を国に残して各国の結核療養所を転々とします。
食堂のガラス戸を音を立てて占める無作法でありながら魔性の女性でもあります。
ハンスはこの女性に恋愛感情を持ち、惹かれて行きます。
セテムブリーニは30代半ばのイタリア人療養者。
雄弁であり、知識階級であり、その魅力的な話術にハンスは「エンジニア」と呼び敬意を表すほどです。
ですが、彼も破天荒な人物です。
この2人を観ていても裕福な階級の患者である事が分かります。
このサナトリウムが単なる隔離施設ではなくてかなりセレブな施設であると読者にも感じさせます。
施設の中のかなり贅沢な生活はこういう階級の人が入っているという事でも納得できる記述です。
3人の関係=当時の世界情勢
前述の優雅な2人の患者とハンスの間はこの時代の世界情勢を表していると言います。
セテムブリーニ(エンジニア)はヨーロッパ
ハンスはドイツ
ショーシャ夫人はアジアであるというのです。
ショーシャ夫人はロシア人なのにアジアというくくりである事に疑問を持ちますが、これこそが「当時の偏見」であるという事も指摘されます。
当時のヨーロッパの人々において「病気などは東」からくるという偏見があったというのです。
アジアとロシアがひとくくりにされている事はヨーロッパの特性と言って良いかもしれません。この時点でヨーロッパから「大陸」と言えばユーラシア大陸であった事を思えば、アジアとロシアはヨーロッパから見れば同じと考えていたのかもしれません。
まだ若い青年のハンスは中立。
ヨーロッパのセテムブリーニは合理。
アジアのショーシャ夫人は非合理であるというのです。
現実は3人とも患者です。この関係がいかに滑稽であるかも表していると思います。
映像化された「魔の山」
ここで映画化された「魔の山」の映像が出ます。
それぞれに役者が演じる事でハンスが20代の青年である事とショーシャ夫人が年上の妖艶な女性である事がよく分かります。
ここでセテムブリーニはダリのような容貌です。
(ダリはスペインの画家ですが、シュールなヨーロッパ人であるというバイアスがこういう役に結びついているのかもしれません)
時間軸は「上巻」と「下巻」で違ってくる
いびつな人間関係が不倫に発展し、おかしな恋愛関係で「上巻」は終了します。
ここで「上巻」となります。
実は「魔の山」は執筆も中断します。
第一次世界大戦がはじまったからです。
作者のトーマス・マンは戦争中の翼賛にも加担したのですが、だからこそ、これ以降の「下巻」では価値観や姿勢が変わっていると言います。
また時間軸も「下巻」では一気に進みます。
「上巻」は最初の7か月間
「下巻」はそれから7年間が描かれます。
話は一気に加速していきます。
感想
退廃的なサナトリウムのなかは意外に文化的な生活である事に驚きます。
普通の生活もあるし、恋愛もあります。
国際的でもあって、色んな文化の人が触れ合います。
でも、やっぱり退廃的で彼らは病気だから療養している訳なので、恋愛をしても結婚をするわけでも子供を作るわけでもありません。
(性的な関係はあったかも)
むしろ、子供を作れない関係が退廃的なのです。
ここに出てくるショーシャ夫人はロシア人の患者です。
「夫人」というだけあって人妻であり、外国の人です。
魅惑的でありながら、患者である彼女は「ファウストのリーリト」のような悪女だという例えも彼女を「悪」としながら魅力のある女性であるという事に面白みを感じます。
ショーシャ夫人の言葉はちょっと不思議です。
ロシア人だといいながら「アデュー」とフランス語。
この時期のヨーロッパの貴族階級はフランス語を話すというのがあったのです。
主人公のハンスもフランス語で応じます。
この日本語訳は「カタカナ」で表現されていてこれもまた違和感がある雰囲気が増長されて面白いと思いました。
結核のサナトリウムですが、心の闇も描かれてますます面白くなりました。
第3回 死への共感
トーマス・マン“魔の山” (3)死への共感
初回放送日:2024年5月20日ショーシャ夫人は突然、主人公ハンスのもとを去ってしまう。代わりに登場するのがイエズス会士にして、テロリズムをも容認する過激な革命主義者ナフタだ。
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/6MY6GW418X/
過激な思想の持主ナフタとセテムブリーニはことあるごとに激しく論争し、ハンスも巻き込まれる。二つの思想の間で葛藤し続けるハンスをよそに、従兄のヨーアヒムは従軍することを決意して下山する。残されたハンスは、雪山で遭難しかけ、生と死は決して切り離すことはできないと気づくが、生還後、なぜかそのことを忘れてしまうのだった。第3回は「生」と「死」の深い関係について深く考察していく。
その後の7年間はハンスの意識が変わる
第3回は下巻のその後の7年間が描かれます。
上巻の7か月間で療養所の生活と退廃的な生活。
それも年上の既婚女性との恋愛も描かれましたが、ここからは生から性へ話が変わっていきます。
性から生へ
新たな登場人物・ユダヤ人ナフタ
全体主義で世界を変えるには少々人が死んでもかまわないという独裁的な考え方を持つユダヤ人ナフタが出てきます。
この考えは当時のファシズム政権への予兆であるとも考えられます。
全体主義はヒトラー政権を予見。
ハンスとヨーアヒム
ハンスはヨーアヒムを見舞うために療養所を訪れたはずですが、ヨーアヒムは退院し、従軍していきます。
そして、ハンスは療養所に残り続け、下界とは離れた退廃的な生活を続けます。
スキーに行って遭難し生死をさまよった事でハンスは「生」へ目覚めます。
人は集団になると残酷な事を平気でする
一人一人は素晴らしい人間なのに戦争やジェノサイドをやってしまう。
苦しい思いをし、生死をさまよい、残虐な行為はやってはいけないとなっていても人はまた忘れてしまうのです。
この忘却が戦争やジェノサイドを繰り返す事になってしまいます。
【参考】こういった考えは100分で名著でも繰り返し話題になっています。
100分de名著~偶然性・アイロニー・連帯~ローティ
100分de名著「独裁体制から民主主義へ」ジーン・シャープ
感想
病気のいとこを見舞ったはずが自分も病気で療養所に長期滞在する事になってしまった主人公のハンス・カストロプ。
この回からは後半(下巻)に突入しますが、「性」から「生」へハンスの倫理観も感覚も変わってしまったように思いました。
(上巻は不倫を含める人間関係。下巻は戦争や事故で死ぬことからの生への意識)
後半から新たに加わったユダヤ人の「ナフタ」
全体主義で自分たちの正しさを通すためなら少々の人命は犠牲にしてもかまわないという感覚の持ち主です。
この思想の変化ですが、第一次世界大戦の前と後で変わってきています。
ここで年代の再検証ですが、
1913「魔の山」執筆開始
1914「第一次世界大戦」
1919「ワイマール憲法」
1924「魔の山」刊行
1933「ヒトラー政権」
魔の山の執筆開始と刊行の間に「第一次世界大戦」があります。
ここで大きく思想の変化があった事は否めないのでしょう。
ドイツでは1919年にワイマール憲法が施行されています。
この憲法は近代憲法と言ってよいと思いますが、戦争後の不況や人々の生活の復興にはあまり良い結果を出さなかったと言われています。
理由は憲法が出来てもそれを実行できるだけの政府や行政が当時のドイツにはなかったからです。
そんな中で、この退廃的な小説が生まれたのです。
「下界」では人々は生活するのにも苦しんでいるのに、「上界」である療養所の人々は「病気」である事を除けばセレブな生活をしているという事になります。
途中でヒトラー政権にも触れられます。
1933年にヒトラー政権になりますが、魔の山の刊行は1924年です。
9年前にこの本は刊行されている事に注目する事は大事だと思います。
更にこの政権を予見したような「魔の山」の作中の人物は何とユダヤ人の「ナフタ」でもあると言えると思います。
(ヒトラーはユダヤ人に対してどういう事をしたかを考えると何とも皮肉な話になります)
刊行年を観ればはっきりしますが、作者のトーマス・マンはヒトラー政権が発足する前にこの作品を書き上げています。
第一次世界大戦の前と後では倫理観や変わります。
更に第二次世界大戦の前と後でも倫理観は変わります。
戦争で傷ついて「もう二度と嫌だ」と思う人たち自身でさえ、その苦しみを忘れ、また過ちを犯してしまうのです。
人は忘れてしまうから「書き留めておかなければならない」
この小説の大きな意義はそこにあるように思います。
第4回 生への奉仕へ
トーマス・マン“魔の山” (4)生への奉仕へ
初回放送日:2024年5月27日ショーシャ夫人はペーペルコルンという元コーヒー園経営者のパートナーを連れて「ベルクホーフ」を再訪する。ペーペルコルンは、主人公ハンスに生の力強さを教えてくれる。
ペーペルコルンのカリスマ性はナフタやセテムブリーニの言動をかすませるほどだったが、突然自死に至る。彼亡きの後の「ベルクホーフ」は限りない混とんへ。決闘沙汰の果てにナフタも自死。そんな中でハンスは,ヨーアヒムの霊との再会を通して、生についての深い気づきを得、戦争の轟(ごう)音をきっかけに自ら戦場の只中へ向かうのだった。第4回は、ハンスが最後に辿り着いた境地の意味を読み解いていく。
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/KZ7KM27QM8/
「魔の山」最終章
最終章の経緯
ショーシャ夫人はペーペルコルンという年配のオランダ人男性を伴って帰ってくる
ペーペルコルンもまたマラリアであり、容体が悪化後、自殺してしまう
ショーシャ夫人は、その後あっさりと去ってしまう
霊媒体質の少女が現れる
セテムブリーニとナフタは決闘する
主人公のハンス・カストロプは志願兵となって話は終了する
レクイエム小説
前述のように最終章はかなり駆け足で終わります。
療養所で退廃的な生活を送ってきた主人公は志願兵となって第一次世界大戦に志願して物語は終了します。
この「魔の山」の刊行は第一次世界大戦後ですが、話は開戦前に終わります。
戦争の翼賛に参加してしまった作者のトーマス・マンは自分の言葉で多くの若者を戦場に送り込んでしまった自戒もあったのかもしれません。
この小説はそんな若者たちへのレクイエム小説だと言います。
最後の一文
「世界を覆う日の祝祭からも、雨模様の夜空をいたるところで焦がす熱病のようなひどい劫火からも、いつか愛が立ち現れるであろうか」
最後の一文は言い切らずに疑問形で終わります。
この一文を読み解くには多くの専門家の間でも議論が交わされています。
今回はその一つの読み方が紹介されます。
「いつか愛が立ち現れるであろうか」という言葉の中に[Steigen]というドイツ語の動詞が使われています。
これは「登る、上がる」という意味です。
つまり、疑問形という形はとっているものの、「没落が反転して上昇するということを意味しているのではないだろうか?」という説が紹介されました。
この作品はデカダンス(没落)が表現される小説です。
退廃的な療養所生活が描かれ、ついに主人公は志願して戦争に行ってしまいます。
ここで、主人公の行く末は分かりませんが、恐らくは帰ってこられなかったのだと思われます。
そう思うと、「絶望」で終わったと考えるのが普通かもしれません。
ただし、この[Steigen]という言葉がある事で、この後は「没落からの上昇」と考えて良いのではないかと事です。
絶望的で落ちるところまで落ちてしまったらあとは上昇しかないというのは確かにそうかもしれません。
それをたった一つのドイツ語の動詞[Steigen](登る、上がる)で表現するというのはトーマス・マンの思いが詰まっているのかもしれません。
番組では最後の一文の解釈は「読者」に託されていると言います。
バットエンドか?ハッピーエンドか?
あなたはどちらだと判断しますか?
感想
一貫して退廃的で絶望的な話だと思っていた「魔の山」
意外にヒューマンドラマでありました。
戦争に翼賛してしまった作者の自戒であったり、戦争に駆り出してしまった若者たちへのレクイエムであったり、それは色々な思いが錯綜されていました。
「忘れてしまう」という概念の恐ろしさも改めて知ります。
主人公は戦争や貧困であえぐ一般の人達から一線を画した療養所にいました。
その中にいても結局は戦地へ行ってしまうというのが当時の最終的な思考で会ったのだと思います。
戦争に行くのが当たり前という感覚が退廃的な生活をしている人にも例外ではなかったというのはとても恐ろしい事です。
むしろ、戦争なんて眼中にないという感覚にはならないという事が世の中に巻き込まれる恐ろしさなんではないかと思います。
(何ともややこしい話ですいません)
今、世界は戦々恐々としていますが、少しでも平和な時代が続きますようにと思います。
私たちも「辛さ」を忘れてしまう事のないようにしていきましょう。