100分de名著「三酔人経綸問答」中江兆民

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第1回 なぜ問答形式なのか

中江兆民“三酔人経綸問答” (1)なぜ問答形式なのか - 100分de名著
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中江兆民“三酔人経綸問答”
(1)なぜ問答形式なのか
初回放送日: 2023年12月4日
【指南役】平田オリザ(劇作家・演出家・芸術文化観光専門職大学学長)
【朗読】岡部たかし(俳優)
【語り】武内陶子

「三酔人経綸問答」は立場が異なる洋学紳士、豪傑君、南海先生3人による問答形式で進む。なぜ兆民は、普通の論文ではなく、架空の人物三人による問答形式に書いたのか。

兆民が問答形式を選んだ背景には、当時の日本語の問題があった。叙述的な文章で語る日本語はまだ未成熟だったため、国家や政治についての思想的議論を行うのが難しかったのだ。そこで兆民は、人物が直に語る言葉=話し言葉という形式で、これらの問題を論じようと考えたのだ。第一回は、なぜこの著作が「問答形式」というスタイルで書かれることになったのか、その理由を探りながら、兆民が生み出した問答形式の魅力に迫る。

https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/WK7WRM7967/
グレース
グレース

また難しい話かと思いましたが、架空の人物3人の鼎談です。
風刺やエンタメに落とし込んだ大衆にうけると話と聞いて俄然興味がわきました!

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分かりやすい政治思想書

日本で最も分かりやすい政治思想書であるという中江兆民の三酔人経綸問答。
三人の酔っぱらいが「グダグダ自分の主張を言いながら…」という体裁になっている所が一番の肝。
だから分かりやすいというのです。
語られているのは当時の政治状況や日本の精神風土をうまく端的に書きあわらされている。

基本スペック

三酔人経綸論    
1887年(明治20年) 出版・政治思想書
著者 中江兆民 (1847~1901) 
  東洋のルソー (日本にルソーを紹介)
掲載誌 国民の友 徳富蘇峰・主宰
掲載時のタイトル 酔人の奇論
     
登場人物 (特に本名は出てこない)
南海先生 大酒のみ、政治談議が好き
洋学紳士 理想主義者
豪傑君 侵略主義者
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論文ではなく問答形式なのは?

中江兆民はフランスに滞在中、舞台を観に行く事も多かったという事で「劇」が好きだったのではないかという事。
(これは指南役の平田先生の願望もあるそうです)

問答形式の理由は
・戯曲の「三一致の法則」を取り入れている
(時間・場所・行為が同一という形式)
・西洋における「問答」の伝統
(ソクラテスの時代からある)
・日本語の問題
(難しい思想を受け入れやすくするために話し言葉の方が良かった)

言文一致

言文一致が始まった時代でもある。
(言文一致とは文章でも話し言葉で書かれる事を言います。)

兆民としては一人でも多くの人に読んでほしくて対話方式にした。
その方が分かりやすく、広まりやすい。

川上音二郎の肉声も!

この時代、「オッペケペー節」で時代の寵児となった川上音二郎の肉声も紹介されます。
川上音二郎は全国の興行で「オッペケペー節」時代を風刺しながらエンタメの世界をぶった切った人です。
この肉声が残っているのがさすがにNHKと言った感じです。

理想主義者の話

洋学紳士の主張
・民主制にすべき
・「専制政治→立憲制→民主制」と進化のステップを!
・軍事的には非武装中立(世界から信頼される)

洋学紳士は理想が先行していて机上の空論である部分もあるが、この時代は外敵にさらされる事もなく、外国と戦争をする以前の話である。
(時代としては西南戦争が終わって10年くらいの話。日露戦争以前)
現実的に外国の脅威にさらされる事もなかったので今の私たちには荒唐無稽に感じる。

この時代の人達にとって非現実な事でもなかった。

感想

明治維新、西南戦争が終わってやっと日本国内が安定していた日本。
外敵にさらされる事も外国と戦争をする事もまだなかったので、非現実的な綺麗ごとの理想論が対話としてなりえたという話は面白かったです。
ただ、一方でこれが風刺的なエンタメのような方式で多くの人に読まれるというのは中江兆民の狙い通りだったのだろうと思います。
またこの時代の人々が政治に大いに関心を示していたからこそ風刺としても受け入れられた背景があるのかなとも思いました。
次回以降楽しみです。

川上音二郎のオッペケペーを聞いてかつてこの音二郎と妻の貞奴(さだやっこ)が主役の大河ドラマがあったので紹介しておきます。
オッペケペー節と言えば、この劇中の中村雅俊さん演じる川上音二郎が良いです。
当時の芝居小屋やその熱気なんかも面白いものでした。
今はDVDでその全編を観る事が出来るようなので興味のある方はどうぞ。

第1回 川上音二郎のオッペケペー節が聞けるドラマ
当時の時代背景がよく分かる作品です
【楽天市場】【エントリ&2個でP5倍!!3個でP10倍!!】 大河ドラマ 春の波涛 完全版 DVD全2巻セット:NHKスクエア DVD・CD館
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第2回 洋学紳士と豪傑君

中江兆民“三酔人経綸問答” (2)洋学紳士と豪傑君 - 100分de名著
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(2)洋学紳士と豪傑君
初回放送日: 2023年12月11日

まず最初に主張するのは洋学紳士。自由平等・絶対平和の追求を主張する。それに異を唱えるのは、軍備拡張で対外侵略を目指せと熱弁する豪傑君だ。さて二人の議論の行方は?

平和主義を唱える洋学紳士の論は、理想は高いが実現困難にみえる。一方、近代国家体制が整う前に資源の豊かな大陸に進出し権益を確保することが列強に対抗するための唯一の方法だと説く豪傑君の主張は、欧米諸国のアジア進出を目の当たりにしていた当時は優勢な思潮だった。それぞれの意見は、兆民の思想とは異なるものの論理は首尾一貫。兆民は論理を徹底化することで、それぞれの意見のよい面、悪い面を浮き彫りにしようとした。

https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/1K73JLNVYK/

19世紀 瞑想していた日本

19世紀欧米列強が小国を侵略していた時代。
三等国日本にもいつ その手が及ぶか分からない。

幕末に結んだ「不平等条約改正」見通しが立たない

国の在り方を模索していた。

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二人は対決?

洋学紳士
絶対平和主義者
攻められても無抵抗
(攻める方が野蛮)

豪傑君
国権主義
軍備増強
対外強硬策を掲げ侵略もいとわない

豪傑君は兆民自身を投影しているのでは?
生まれてきたのが遅かったと思っている?
自分自身も武士の子として戦いたかったのか?

この時期の日本は文明国として世界に認めさせたいという意識が国策としてあった。

グレース
グレース

南海先生はこの2人の話を酒の肴に楽しそうに聞きます。

豪傑君によれば「古いもの好き」と「新しがり屋」に分かれる。
そのどちらかを切除しなければならない。
「癌」と一緒だから。

紳士君
人間は癌じゃないから切除出来ない

豪傑君
癌の方を切除する方法は戦争に行く事
自分自身も癌である

この問答が舞台的で劇的であるので全く違う相反する会話なので成立する。

そして、どちらかをやりこめるのではなくて「論破しない」

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シンパシーではなくてエンパシー

同情するという事ではなくて、相手がどうしてそういう考えになったのかという事を理解する。
一緒でなくてもバラバラでも良いけれど、相手の気持ちを否定しない。
相手の立場も考えてみる。

グレース
グレース

この時代に先進的な考え方だなという事がありました。
当時も知識人だけでなくて、多くの一般人に受け入れらた理由も分かります。
この時点で紳士君も豪傑君もどちらが正しいという事にはなっていないのです。

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第3回「現実主義」の可能性

中江兆民“三酔人経綸問答” (3)「現実主義」の可能性 - 100分de名著
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(3)「現実主義」の可能性
初回放送日: 2023年12月18日

最後に登場するのは、黙して耳を傾けていた南海先生。彼の答えは意外なものだった。対立意見の中間をとったような折衷案。なぜこんな凡庸ともいえる結論が出されたのか。

南海先生によれば、現実は複雑怪奇なもので洋学紳士のいうように理想状態へは一本調子で進まない。かといって豪傑君の主張も政治的手品にすぎないとして両者を批判する。彼の主張は「帝国憲法下で与えられた恩賜的民権を活用して立憲制度を確立し、平和外交、専守防衛を旨とした国民軍の創設する」というもので、対立意見を止揚する。第三回は、理想を実現するために必要な、真の意味での「現実主義」とは何かを深く考えていく。

https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/N9X7RMQ69X/

南海先生は語りだす

2種類の民主主義

回復した民権(恢復的の民権)
フランス革命やパリコミューンのように国民が蜂起して勝ち取った民権。
賜った民権(恩賜的の民権)
市民革命によって得た民権ではなく、天皇を中心にした国家と国家体制を整えたうえで憲法を作り、国会を開設していった。

「欄外にいわく、この一説はいささか得意の文章です」とあり、
これは兆民自身の意見でもあると推察される。

日本はヨーロッパのような革命で成り立った政府ではないという事を抑えておかないと洋学紳士のように「民主制、民主制と言っても無理ですよ」と。

戦後の憲法論議にも似ている。
改憲論でも改憲か否かで2つに割れるのではなくて、改憲派だけれどそうじゃない人の話も聞きたい。
又はその逆もありきである。
どちらかが是か非で考えてしまうと割れてしまうだけで争うしかなくなる。

戦争が起こるきっかけは「風聞」

中江兆民がメディア側だった人間なのに、メディア批判をしている。
当時のメディアは「新聞」であったけれど、国民の戦意高揚を煽っただろう。
やはり、ネガティブな話は人の注目を浴びる事から新聞の売り上げも飛躍的に伸びた。
また、それが戦争につながる。

今も、ネガティブなニュースやスキャンダルなどは人の衆目を浴びるので視聴率や売り上げが良くなるからメディアもそういったものに偏りがちになる。

討論が終わった後

南海先生の主張
・立憲制の確立
・上院下院の二院を設置する
(上院議員は貴族の世襲とし、下院議員は選挙で選出)
・外交政策は友好を重んじて 国威・武力を誇示しない
・言論、出版の規制はゆるやかに
・教育、商工業の充実を図る

この意見に対して洋学紳士と豪傑君は子供でも分かる当たり前の事しか言わない南海先生にすこしがっかりしたのかもしれません。
ですが、この当たり前のことが、簡単ではなく、長い時間がかかります。

中江兆民の強い意志でもある。

洋学紳士はヨーロッパへ
豪傑君は上海へ
二人は南海先生のもとを訪れる事はなかった。

二項対立からは何も生まれない

二項対立の両極端な所にいる人からすると「子供でも知っている」という事になる。
(この場合の二項対立は紳士君と豪傑君)

現実というのも色々あってそれを様々な角度から見るのが知性である。
(総合知)

グレース
グレース

「善悪」や「ヒャクゼロ思考」で考えず、折衷案で考える事が大事だという事を改めて感じました。
どちらかが良いとか悪いとかで考えてしまうと「争い」しかなくなってしまいます。

感想

紳士君と豪傑君は全く違う意見の二人でしたが、お互いを論破するのではなくて、良くよくお互いの話を聞いて歩み寄るという形で終わったのが、印象的でした。
話の真ん中にいた南海先生でしたが、先生自身がこの2人に自分の意見を押し付ける事もなく、2人の話を酒の肴にして楽しんでいましたね。
どちらかというと2人の客人に軽んじられてたのではないかと思われる記述もありましたが、これこそが南海先生の強みであったのではないかと思いました。
もし、南海先生が怖くて何も言えないような先生だったら、そもそも2人は先生を訪ねて話をしに行こうとすら思わないわけですから。
国家を憂うという事では3人は共通していますが、とことん話し合って良い頃合いを見つけていくというのは今にも通じる良い考えです。
考えてみれば、紳士君と豪傑君の意見は全く違います。
ここで斬り合いが起こったわけでもなく、喧嘩にすらなっていません。
激論ではありましたが、「争い」にはならなかった。
これは今の我々も大いに参考にすべき論点ではないかと思いました。

「話はとことんすべき」しかし、「争ってはならない」

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第4回 その後の兆民

中江兆民“三酔人経綸問答” (4)その後の兆民 - 100分de名著
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(4)その後の兆民
初回放送日: 2023年12月25日

中江兆民は最期まで迷いに迷い思索を続けたが、余命わずかになって書き上げた著作が「一年有半」「続一年有半」だ。そこにはどんな主張や思想が書かれているのか?

兆民は晩年政治活動に繰り返し挫折する。その後実業を志すも失敗。更には今までの行動とは矛盾するような政治運動にも足を踏み入れる。紆余曲折を経てたどり着いた最晩年の著作「続一年有半」には、民主主義を実現するためにはゼロから哲学を立ち上げ直さなければならないという兆民の深い思いが込められている。だが、病いによる衰弱により途中で破綻した。第四回は、彼が追い求めた理想的な社会のあり方を浮き彫りにしていく。

https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/R36QLZXJ58/

一年有半・続一年有半

ガン宣告を受けてから「一年有半」「続一年有半」を執筆

明治22年  第1回衆議院選挙に大阪から出馬し当選→国会議員になる
(1889年) 半年後→議員辞職
   
  実業家へ転身→北海道へ
  山林組合を設立→失敗
  鉄道設立に関わる→失敗
   
明治34年  54歳の時 咽頭がん
(1901年) 余命は1年半と言われ「一年有半」を執筆
   

当時ガンであると告白する事はセンセーショナルな事

一年有半の「有」は「そして」という意味
つまり「一年とそして半年」という意味になる

残りの人生は好きに書かせてもらいますということである。

恐外病

恐外病とは欧米列強の欠点に着目せずにむやみやたらに恐れているという意味

恐露病とは日本政府は対ロシア対策に慎重であったにも関わらず、民衆をメディアが煽って戦争に導いていった。

結果;中江兆民は更にこれを皮肉っている。

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大阪府堺市浜寺で療養した兆民

療養生活をつづけながら、執筆も続けた兆民。
ここまで来ても、読者側に寄り添って書き続けた事が多くの読者を獲得する。

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感想

中江兆民の最後の本である「一年有半」は自分の哲学を持つという事をとても大事であることを結論付けています。
自分の「哲学」を持つからこそ、相手の「哲学」を理解するということができるというのは目からうろこのような気がしました。
「誰誰が言っていた!」ではダメなのですね。
「自分はこう思う」から「相手の意見も聞いてみよう」ということがとても大切なのですね。
意見が違うから論戦を交わすのは構いませんが、とことん話し合う事が大事なのですね。
この作業はとても面倒で、時に投げてしまいたくもなりますが、納得がいくまでに話し合う事で妥協点や打開策が見えてくるのかもしれません。

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100分de名著

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三酔人経綸問答(中江兆民) (岩波文庫 青110-1) 中江 兆民, 桑原 武夫

三酔人経綸問答 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫) 中江 兆民, 先崎 彰容

三酔人経綸問答 (光文社古典新訳文庫) 中江兆民, 鶴ケ谷真一

一年有半・続一年有半 (岩波文庫 ) 中江兆民,

兆民の最後の本となりました。