【指南役】渡部泰明(国文学者)…国文学研究資料館館長。著書に「和歌史」「古典和歌入門」など。
【朗読】篠井英介(俳優)
【語り】加藤有生子
第1回 めぐる季節の中で
第1回 めぐる季節の中で
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/9QWQ78V53L/
初回放送日: 2023年11月6日
「袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ」。夏、冬の思い出。そして迎えた立春の鮮烈さ。一首の中に見事なまでに季節の移り行きが封じこめられている。
「古今和歌集」の歌人たちは、まだ訪れる前の時期に、どうにか「春夏秋冬」を見つけようとする。「古今和歌集」では何よりも季節の「兆し」が大事にされるのだ。当時の人たちにとって、季節は探し出したり予感したりするものだったのである。第一回は、「古今和歌集」成立の背景にも迫りながら、季節の移ろいを見事に映し出した和歌の魅力を深く味わっていく。
1,100首収録されている古今和歌集。
季節、恋が盛りだくさんの素敵な和歌集です。
平安時代に編纂されました。
和歌は平安時代のコミュニケーションツールという指南役の渡辺先生
古今和歌集のスペック
古今和歌集(古今集) | ||
編纂 | 延喜5(905)年 | 醍醐天皇の勅命によって編纂された日本初の勅撰和歌集 |
撰者 | 紀友則 | きのとものり |
紀貫之 | きのつらゆき | |
大河内躬恒 | おおしこうちのみつね | |
壬生忠岑 | みぶのただみね | |
構成 | 全20巻 | 四季や恋などに部立て(分類)されている |
1100首 | ||
序文 | 真名序 | 漢字 |
仮名序 | ひらがな |
日本初の勅撰和歌集です。
そして撰者たちがこの100年ほど前に書かれた万葉集へのリスペクトが見え隠れします。
つけていひいだせるなり(託して表現する)
序文は漢字バージョンとかなバージョンの二つ
かなバージョンの序文は土佐日記の紀貫之によるものです。
かな文学のパイオニアがこの序文の仮名の部分を書いたというのです。
心の中の事が言葉に表される事によって他の人にもはっきり見えるようになると言う事だそうです。
和歌の良いところ
和歌には敬語がいらないためにややこしい気づかいがなくなるために便利になった。
幻想と現実の「あわい(間)」を非常にうまく表現している
掛け言葉をうまく採用している(同じ音で違う意味になる)
ex:ふる(振る・降る)
ながめ(眺め・長め)
四季の歌
四季の歌は342首ある中で一番多いのは秋の歌。
一番多いのは秋の歌
一番少ないのは夏の歌
夏の歌は34首のうち28首がホトトギスの歌である
京都のものすごく暑い夏の後の秋に人がホッとしてたくさんの歌が歌われるのはよく分かります。
日本の夏は今年も暑かったですからね。(2023年現在)
感想
31文字の短い文章の中で自分の思いを伝える和歌はとても良いコミュニケーションツールだったのですね。
敬語がいらないという視点は今回初めて気が付かされました。
四季や恋愛、そして連絡ツールとしても結構活躍していたのだなと言う事は今回、今更ながらに気が付きました。
撰者の4人は文学の上では今も評価が高い人たちですが、政権という意味では冷遇されていたのでこの人たちの無念の思いも少しあるのかと感じました。
この時期は藤原家がほとんどの政治の中心だったためです。
よく考えてみると、この撰者の中には藤原家の人間が一人もいないので、「文学」としてだけ徹底して吟味できたのかなと思いました。
第2回 恋こそ我が人生
“古今和歌集” (2)恋こそわが人生
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/1Y15LL79NR/
初回放送日: 2023年11月13日
「命やはなにぞはつゆのあだ物を逢ふにしかへば惜しからなくに」。命が一体なんだというのだ、露のように儚いものではないか…こんな心の叫びも「古今集」ではよまれる。 恋についての強烈な情念を詠んだ歌も数多い「古今和歌集。渡辺泰明さんによれば、「恋」と「恋愛」は異なる。「恋愛」は男女二人いれば完結するが「恋」はもっと大きな世界をもっている。「恋ひ」とは「乞ひ」であり全身で求め願うもの。時に社会すら動かすこともある。第二回は、「恋」を詠んだ和歌にスポットを当て、平安時代の恋がどのようなものか、またどのような社会的な意味を持っていたのかに迫っていく。
第2回は恋の歌です。
恋の歌は一番多くて何と360首!
素敵な恋も、そうでない恋もたくさんあったようです。
国家事業なのに恋の歌?
勅撰和歌集である古今和歌集は国家事業で始まった和歌集です。
なのに、恋の歌が一番多いのは天皇の後宮におさまるお妃様たちが寵愛を競ったからでもあります。
天皇の後宮ではお妃への寵愛が子供が出来る事に繋がり、その子供が天皇になるかどうかでその後の政権も変わってくるから「国事」としても大切なのが「恋の歌」だったのです。
また、恋の歌は恋をする事から別れる事までの順番に並べられています。
別れるまでというのがミソです。
恋は始まりがあって終わりが来ます。
序詞というのは前置きのようなもの。
今で言えば「二刀流の大谷翔平」というような感じだそうです。
解説の渡辺先生はとてもお上手です。
小野小町の歌
好きな人の夢を観て、目覚めてしまって残念というよりもその余韻に浸っているという印象。
そして、「夢に出て来るとその人も自分を思っている」と言われていたので、「せめて夢に出てきてほしい」という意味の歌になっています。
恋の途中の素敵な歌ですね。
別れの歌は男女で違う?
別れるときの歌は切ないものです。
ですが、男性側と女性側で随分違います。
女性側の典侍が詠んだ歌はきっぱりと別れ、けじめをつけているのに対し男性側はワンチャンあるのではないかという未練があるのではと読み解かれます。
代作はあれど、人の恋を詠ったものはなし
和歌には一流の歌人が代作をする事は結構知られています。
ですが、他人はこうだとか、人の恋を詮索するようなことはないのです。
それは和歌が個人の心を表現するものであるからです。
これが名歌であり、秀歌であると結んで第2回の恋の歌は終わります。
第3回 歌は世につれ、世は歌につれ
“古今和歌集” (3)歌は世につれ、世は歌につれ
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/XRYRRNV9V6/
初回放送日: 2023年11月20日
「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」。心あらばという桜への呼びかけがこの歌の中核だ。心をもたない存在に心を求めるという表現は「古今集」の真骨頂。
死別の悲しみを歌った「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」。桜が墨染めに咲くことはありえない。不可能なことを望むのはそれだけ悲しみが深いから。このように「古今集」におさめられた和歌は、人の生死、別離の哀惜、愛する人への祈りなど、人生そのものを深く描く。第三回は、人生の折々に読まれた和歌をピックアップし、人の世の不思議さに迫っていく。
和歌はボヤキ(愚痴)の文学?
恋の歌、四季の歌以外の「雑歌」(ぞうのうた)
単なる寄せ集めではなくて世の中の「世」をキーワードにしています。
五節の舞姫の歌
百人一首でも有名な1句
あまつかぜ くものかよいじ ふきとぢよ
おとめのすがた しばしとどめむ
この歌の作者は古今和歌集では良岑宗貞(よしみねのむねさだ)です。
ですが、ちょっと違和感がありますね。
百人一首では「僧正遍照」(そうじょうへんじょう)です。
この歌を歌った時はまだ出家していなかったのです。
百人一首では通りがいい方の名前で採用されているのですね。
これも知らないと、なぜ同じ和歌で違う名前なのか混乱してしまいます。
五節の舞姫は貴族の女の子たちが舞を披露する宴です。
この当時は女性が外に出る事は滅多になかったために珍しい事でした。
若い女の子のお披露目みたいな感覚もあったのかなと思います。
姨捨山の歌?
わが心なぐさめかねつ更級や
姨捨山に照る月を見て
姥捨て山(うばすてやま)ならぬ姨捨山(おばすてやま)です。
意味は同義で役に立たなくなった老人を山に捨てるというのです。
要は見殺しにしてしまうのですね。
山の中なら熊や野生の動物に殺される恐怖もあったかもしれません。
こういった社会問題ともいえる歌も「雑歌」(ぞうのうた)には入れられています。
政治的な歌も和歌にうたわれる
斎院の皇女・彗子(あきらけいこ)の実母が罪に問われ、連座され斎院を解かれるものの復帰。
美しい歌を歌えるのだから潔白という例も紹介されます。
小野篁(おののたかむら)
伝説的な人でかなりの変人だったと思われます。
閻魔様と通じているとか、不思議ちゃんでもあって、政治的な事を言って流罪されたりしている人です。
この人も「小野」姓ですね。
「小野小町」もそうですが、政治的な中心人物になる家系ではなくて文才や学が高い事を評価された学者肌の家系だったのではというのが通説です。
和歌はボヤキ(愚痴)の文学?
ネガティブな事が愚痴や不平不満を言っていくと言う事が和歌のテーマになっています。
理想があるから愚痴がある。
それが叶えられないから愚痴が和歌に出る。
でも、それが理想を目指して祈りが出ているのではというのが先生の見解です。
和歌=祈り
賀歌(がのうた)「君が代」の原点
わが君は千代に八千代にさざれ石の
巌となりて苔のむすまで
日本の国家、君が代の原点となったこの歌ですが、「君」とは何も天皇のことではなくて「大切な人」という意味が強いのだそうです。
素敵な歌になりますね。
外国で歌われた歌
天の原ふりさけみれば春日なる
三笠の山にいでし月かも
阿倍仲麻呂
これも百人一首でも採用された歌ですね。
優秀で遣唐使に行ったものの、日本に帰ってくることが出来ずに故郷を思って歌われた歌です。
でも、日本に帰れなかった。
その結果、歌だけが日本に帰ってきました。
この時代には外国に渡ると言う事も帰ってくるというのも命がけだったのでこういうことがあったのだと思います。
一般人の恋煩いの歌も
寝ながら、好きな人の事を思いながら足をモゾモゾするというような歌もあります。
何ともだらしない日常の和歌もあります。
俳諧の歌
俳諧というのは
「俳」は「そしる」
「諧」は「ととのっている」という意味
つまりは「ボケとツッコミ」ではないかというのです。
感想
世相や時代を反映した歌も多いのだなと思いました。
それでも、人々の優雅な部分だけでなく、だらしない事もありました。
ちょっとクスッと笑ってしまうような事もありましたね。
人の世の中は今も昔も変わりませんね。
第4回 女の歌は「強くない」のか?
“古今和歌集” (4)女の歌は「強くない」のか?
初回放送日: 2023年11月27日「あはれてふ言こそうたて世の中をおもひはなれぬほだしなりけれ」。小野小町の、どんな不条理もゆるしてしまう限りない「強さ」が現れている歌だ。その強さの秘密とは?
小野小町は「あはれなるようにて、つよからず」とも評されるが「言の葉にすれば哀れというただひと言なのに、このひと言ゆえもの思いの多いこの世を捨てることもならず、ほだしのごとく人をつなぎ留め。心解き放つこともゆるさない」といった情念を詠んだ小町の歌には、驚くほどの「強さ」がある。第四回は、高樹のぶ子さんをゲストに招き、小野小町をはじめ名だたる女性歌人たちの歌に秘められた「強さの秘密」に迫っていく。
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/2WMX1P2158/
紀貫之は小野小町の歌は「強くない」と表現?
古今集の序文には小野小町について紀貫之が「強くない」と表現します。
今回の指南役の渡辺先生はこれを笑顔で否定。
強くないという意味→心情表現に重きを置きすぎてがっちりとした構成を取っていない
女の人の歌というジャンルで一括りにしてしまっている。
一番多くの歌がある「伊勢」
伊勢という名前を聞いて地名を思う人も多いかもしれません。
「伊勢」という名前で呼ばれた女性の話です。
古今和歌集名の中で18首も選ばれている伊勢ですが、恋愛遍歴も多かったようです。
番組の中でも上司である温子(おんこ)の夫である宇多天皇の寵愛を受けて皇子を産みます。
(この皇子は早世)
でも、その上司の「温子と伊勢」の間には女性の友情があったというのです。
(今で言うと正妻が夫の愛人と仲良くするって感じです)
相手を思いやる言葉が和歌の中に垣間見られるというのです。
この時代は天皇の寵愛を受けると言う事が政治的にも意味を持ったので、そいう時代背景に翻弄された女性同士で励まし合いがあったのでしょうか?
伊勢の恋愛遍歴がすごいので図式にしてみました。
小野小町は嫌われていた?
小野小町が困窮して「ざま~みろ」と思われていたという説があっただなんて!
小野小町が「百夜通ったら付き合ってもいいよ」と言って一生懸命通い続けた深草少将(ふかくさのしょうしょう)が、よりにもよって百夜目にて命を落としてしまったという逸話は有名です。
これが小野小町を伝説的な歌人として今も残っている要因の一つだと思われます。
ですが、小野小町が晩年、困窮していて酷い末路を辿ったという説が人を振りまくった自業自得のような言われ方をする説がある事を初めて知りました。
小野小町の生涯は色んな説があります。
私は教養の高い家庭で生まれた女性であると思います。
かと言って貴族階級としては決して豊かな家ではなかったのではなかったのでしょう。
美人である事が先行され、文才がおざなりにされているような気もする人です。
ちなみに「小野小町」は美人過ぎて絵に描けないと言う事で百人一首の絵姿も後ろ姿で描かれているというのが通例です。
たまに、「小野小町」の正面の絵というのが、本当かウソか出て来るのですが、大体きりっとした感じの女性に描かれる事が多いようです。
もちろん、想像上の話ですけれどね。
感想
この時代の女性の歌は政治に翻弄され、天皇に如何に仕えるかと言う事でその人生のすべてが決まってしまうような時代でした。
美女、小野小町も決して安穏な人生ではなかっただろうことが想像されますが、美貌だけでなく才女であった事は間違いないだろうと再認識しました。
伊勢という女性の事はあまり知りませんでしたが、中宮(天皇のお后)に仕えながら、その天皇の寵愛を受けるという数奇な運命を送った方のですね。
ただ、この時代には皇子を産んだからと言って実家が強くなかったら宿下がりが出来るわけでもバックアップを受けられるわけでもありませんからせっかく生まれた皇子が早世したのも頷ける話です。
(生まれたお子さんが早くに亡くなってしまう事は良くあった事だったのですが…)
おまけ:紫式部との関係
2024年の大河ドラマが「光る君へ」というタイトルで紫式部が主人公です。
紫式部は古今和歌集には出てきません。
実は古今和歌集は紫式部にとっても「古典」的なお話なんです。
私たちの時代からすると何ともイメージしにくいのですが、紫式部の時代からすると100年位くらい前のお話になります。
そこで「源氏物語」も古典というか「昔話」として語られ始めている事をご存じでしょうか?
源氏物語の最初のお話で「桐壺」の冒頭では
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。 」
と語られ始めます。
「いづれの御時」というのが「いつの話だったのでしょうか?」という今よりも前という事を想起させます。
また「更衣」という天皇の妃の位が紫式部の時代ではなかったとも言われています。
ちょっとこういう事を知っていると、話のネタにはなるかもしれません。
「源氏物語」は時代劇という感覚だったのではと考えています。
関係リンク
テキストはこちら
百夜(ももよ)
番組内で紹介された
小説小野小町 百夜(ももよ)
小野小町の人生、結局は妄想の域を出ませんが、どうぞお読みください。