100分de名著~有吉佐和子スペシャル

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名著145「有吉佐和子スペシャル」 - 100分de名著
一度は読みたいと思いながらも、手に取ることをためらってしまったり、途中で挫折してしまった古今東西の“名著”。この番組では難解な1冊の名著を、25分×4回、つまり100分で読み解いていきます。プレゼン上手なゲストによるわかりやすい解説に加え、...
グレース
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人類初の麻酔薬の実験に身を投じ家制度に迫る「華岡青洲の妻」
認知症の家族を世話するパイオニア小説「恍惚の人」
短編をつないで人間の皮肉に向き合った「青い壺」
有吉佐和子の代表作を取り上げて行きます。
詳細は目次からジャンプできます。
お好きな項目からどうぞ。

第1回 「埋もれた『女たちの人生』を掘り起こす~『華岡青洲の妻』~」

評判の外科医直道の妻・於継のたっての願いで、代々医業を営む華岡家に嫁いだ加恵を中心に描かれる「華岡青洲の妻」。彼女を待っていたのは真綿で首を絞められるような、姑・於継からの嫉視や敵愾心だった。世界初の麻酔薬開発に向けて無垢な情熱を燃やす夫・青洲には、そんな状況はまるで見えていない。嫁姑の苛烈な相克は何から生じ、なぜ泥沼へと向かっていくのか。第一回は、封建制が敷かれた時代の末期、「家」のしがらみにとらわれた女性たちの苦悩にフォーカスし、「個」と「家」の相克の問題を見つめていく。放送日: 2024年12月2日(月)
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/blog/bl/p8kQkA4Pow/bp/pO19XzBz2O/

【有吉佐和子の年表】
1931年1月20日: 和歌山県出身
1937年: 父の転勤でジャカルタへ
1941年: 帰国
1945年: 疎開
1956年: 『地唄』が文學界新人賞候補、芥川賞候補となり文壇デビュー
1957年: 『白い扇』が直木賞候補となる
1959年: ニューヨーク留学(この時ニューヨークの博物館で華岡青洲を知る)
1966年: 『華岡青洲の妻』を発表
1984年8月30日: 東京都杉並区で急性心不全のため53歳で逝去

華岡青洲を知ったのはニューヨーク

和歌山県出身の有吉佐和子。
華岡青洲と同じ和歌山県出身です。
地元の有名人だから知っていたのかと思えば、その出会いはニューヨークの美術館だったと言います。
28歳の有吉佐和子がニューヨークに留学中の事でした。
華岡青洲の肖像の下には「紀州の医者」「全身麻酔の実験に母と妻が実験台に」という美談文に猛烈ビビったというのです。
そこから、青洲に関する資料を木箱に4箱も集めたと言います。
*紀州とは今の和歌山の事です。

華岡青洲が作った麻酔薬は「通仙酸つうせんさん」と言います。

華岡青洲の妻から見られる嫁姑、家族論

「華岡青洲の妻」の本編は青洲の功績である麻酔薬を完成させたことよりも、嫁姑問題を元にした「家制度」の問題です。
本編のタイトルの「華岡青洲の妻」には、きちんと名前があります。
加恵かえと言います。
でも、タイトルは「華岡加恵」ではないのです。
ここに、もう強烈な家制度のアピール点があります。

加恵は嫁いできた日には夫は不在です。
医者になるために勉強していて地元の紀州を離れて京都にいるからです。
夫が帰ってくるまでの三年間、加恵は夫の顔を観る事すらなかったのです。
名家の生まれである加恵は質素な華岡家の為に尽くします。
初めての労働や倹約で大変だったことでしょう。
ですが、それでも、頑張ります。
華岡家が質素なのは加恵の夫である雲平の学費をねん出するためでもあったからです。

最初は姑は嫁をアゲアゲ

姑の名前は於継おつぎと言います。
美人で女性の憧れであった於継。
最初は嫁となった加恵もそんな於継に選ばれた自分に自信を持っていたのです。

ですが、於継にしてみれば、嫁をうまくおだてて労働力としてせっせと利用してただけだったのです。
もちろん、それは息子である雲平の為だけでした。

赤ちゃんの為に食べなさい

華岡家に雲平が帰ってきます。
そこから嫁姑バトルは繰り広げられます。
ですが、華岡家の質素ぶりは変わりません。
地元の医師として活躍する雲平でしたが、診療所が流行るものの通ってくる患者は貧しい人も多く治療費も払えない人も珍しくありませんでした。
また、治療費がないからと言って患者を断るわけにもいかず、華岡家は食べるものにも困ります。

そんな中で加恵は第1子を授かります。
ここでは食べるものもない訳ですから、家族はみんなひもじい思いをしています。
姑の於継は嫁に食事を与えますが、明確に「腹の子の為」と言うのです。

嫁の加恵はどんな辛い思いだったでしょう。

麻酔の実験が始まる

麻酔の実験には最終的に人体の治験が必要になります。
(これは今でも同じです)
ここで姑の於継がその自分がすると言い出します。

すぐに実験台になると言わない気の利かない嫁の加恵に対して姑の於継が嫌味な態度をとるというだけの話でした。

雲平は治験が必要

嫁姑問題には雲平はあまり興味がない様子です。
雲平が目指しているのは実験の成功だけだからです。

墓の大きさが女性の地位の低さを形骸化

今も残る華岡青洲の墓はかなり立派なものです。
その後ろに嫁である加恵の墓。
更に後ろに姑の於継の墓があります。
墓の大きさは「青洲」>「加恵」>「於継」となります。

図のような感じです。

グレース
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歴史に名を遺さなかった加恵と於継。
墓にすらならなかった無名の人達を忘れてはいけないというメッセージでもあるという事です。

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第2回 「『老い』を直視できない人々 ~『恍惚の人』①~」

「老い」の問題を真正面から見据えた「恍惚の人」。「職業婦人」として充実した日々を送る昭子。青天の霹靂のように義母が亡くなり、それがきっかけで義父・茂造が認知症を患うように。うろたえるだけで何もできない夫・信利、ドライに状況を見つめる息子・敏。茂造の介護は一人昭子が担うことになるのだった。第二回は、家族が認知症になった時それ以外の家族とその人生はどのように変容するのか、そして彼らが直面する苦悩とはどんなものかを作品から読み解いていく。
放送日: 2024年12月9日(月)

グレース
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恍惚の人は認知症になった家族を家庭で面倒を観るという話です。
この時期に高齢化社会が進んだことで認知症の患者が急増したのです。
社会問題となりましたが、悲惨だったのは面倒を観る事になった「嫁」の立場の人達でした。

高齢者社会が進む

小説が発表された1972年当時、高齢者社会が一気に加速しました。
人口の65歳以上が7%を超えて高齢化による認知症を抱える老人も増えてきました。
ですが、この時代はまだ「認知症」という言葉もなかった時代でどちらかというと差別的な感覚で表現されていた事も言及しておきます。
そう言った時代背景ですから、病院や入所施設も充実していたわけではありません。
社会的な問題でありながら、社会がそれに追いついていなかったのです。

有吉佐和子自身も自分自身の記憶力が低下していた事にも裏打ちされます。
彼女自身はこの作品を発表するまでに6年間も老年学「ジェロントロジー」を学んでいます。
そして、徹底的な取材をしてこの作品を発表しているのです。

時代背景

政治の世界ではロッキード事件がありました。
(政治家による巨額賄賂事件)
また、公害では光化学スモッグというものもありました。
光化学スモッグというのも今の人には馴染みがないかもしれません。
健康被害があるほどの霧が発生するのです。
もちろん、有害ですから、子供たちは外で遊ぶことも出来ません。
光化学スモッグが発生した日は校庭に旗が立てられます。

グレース
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私自身も子供の頃、光化学スモッグを経験した事がありますが、
「今日は光化学スモッグです。校庭で遊ぶことはできません」というアナウンスがあったのを覚えています。

感想

「恍惚の人」とは認知症の人の事です。
この難しい「恍惚」という言葉はこの作品と共に流行語となりました。
恍惚というのはどういう意味でしょう?
この点が番組内で紹介されなかったので私から補足しておきます。

「恍惚」とは「物事に心を奪われてうっとりするさま」であるとか「意識がはっきりしないさま」の事を言います。
認知症の患者の事を書くにあたり作者の有吉佐和子はこの「恍惚」という言葉に出会うまでに何度も辞書をめくったという話を彼女のエピソードで聞いた事があります。
今でこそ「認知症」と言われていますが、当時は差別的な表現をされていました。
(当時の表現についてはまた差別的だと言われる可能性があるので割愛します)
認知症と言われる言葉が生まれる前に世間にも受け入れられる言葉で表現されたタイトルが「恍惚の人」だったのです。

認知症になった当人は現実を受け入れる事が出来ません。
排泄も調整できない。
嫁が面倒を観るのが当たり前。
認知になってしまった舅も当たり前のように嫁に頼ります。

嫁にとって夫はねぎらいの言葉を言うだけで何もしません。
嫁にとっては腹が立つだけです。

社会保障も認知症に対するケアなどもなかった時代、一人奮闘するのは嫁だけです。
夫も息子も何もしません。

発表されたのは半世紀以上前ですが、今とあまり変わらないというのが現実のようです。

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第3回 「老いてなお光をはなつ尊厳 ~『恍惚の人』②~」

ますます悪化する茂造の認知症。仕事と介護の両立に悩む昭子は、積極的に協力しない夫や不十分すぎる社会保障制度に怒り捨て鉢になりかける。だが、一輪の花に心を奪われる茂造の姿に触れ老いてなお輝く人間の尊厳に思い至る。最後まで介護をやり通す決意をする昭子の姿に、息子・敏も、茂造への態度を少しずつ変えていくなど、家族にも少しずつ変化が。最後に訪れる家族の心境とは? 第三回は、「恍惚の人」の後半を読み解くことで、「老い」の中に確かに存在する尊厳、それを支えるべき社会制度の在り方を問い直す。
放送日: 2024年12月16日(月)

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介護はいよいよ深刻になり、ワンオペ状態になる嫁の昭子。
助けを求めて行きますが…。

ワンオペになる

バリキャリだったのに介護に疲れて無断欠勤をしてしまう程疲弊してしまう

社会保障は助けてくれない

東京都民生局によるパンフレットには4つの老人ホームが案内されていました。
入る事が可能なのは「有料老人ホーム」のみです。
でも、その老人ホームさえ、空きはなく入る事は難しそうです。
当時の金額で言ってもかなりの高額と言えると思います。
そんな中で「家庭で観る事が出来ることは幸せ」という当時の価値観の元、結局は「嫁一人」にすべての重圧がかかるというパターンになっています。

まさかの他人で解決

社会保障も助けてくれない、老人ホームにも入れない。
孤軍奮闘で頑張るしかなかったときに空き部屋となった「離れ」を若い夫婦に貸す事になります。
この若い夫婦は学生運動に参加していた事もあり、この時代ではなかなか部屋を貸してもらえません。
そんな人たちに格安でお爺ちゃんが今まで住んでいて空き家になった「離れ」を貸して、介護を手伝ってくれたら駄賃まで払うという約束をします。
そうすると、意外とお爺ちゃんもこの若い夫婦には心を許すようになり、若夫婦の妻のエミは「シモの世話」までしてくれるようになります。
少し、他人が介在する事で介護が飛躍的に楽になるという事は現代にも通じるかもしれません。

最後の解釈

介護の末、要介護者であった茂造の死を迎えます。
介護をし続けた嫁の昭子が涙を流すことで物語は終わります。
この涙を流した理由は死への悲しみなのか、介護から解放された安堵感なのか、はたまた違う感情なのかは言及されていません。
つまり、読者に委ねられているという事なのです。
皆さんはどうお考えでしょうか?

感想

介護という現実は多くの人が今、そしてこれから体験する事かと思います。
社会構造として日本は高齢化社会である事に変わりありません。
ですが、半世紀以上前に発表されたこの作品と今とはそんなに変わっていないという事が問題としてあるかなと感じました。
社会保障は飛躍的に良くなっているかもしれませんが、それさえ、知識があっての事です。
いざ介護が必要になってから人は勉強してやっとの事で社会保障を受けられるのです。
どんな社会保障があるか調べているうちに要介護者が亡くなってしまうという事も残念ながら少なくありません。
この「恍惚の人」が再び注目される事で私たち自身も考えなければならない事が多いなと感じた作品でした。

実はもう一作品、昭和に介護という現実を書いた作品があります。
昭和の名作家である丹羽文雄氏が認知症になってその娘さんが介護をした記録があります。
本田桂子さんと言います。
瀬戸内寂聴さんの勧めで書いてベストセラーになった作品なのですが、介護をしていた娘さんが先に亡くなってしまうのです。
その後、要介護者であった丹羽文雄氏も天寿を全うしますが、自分の娘が亡くなった事も理解できませんでした。
「父・丹羽文雄介護の日々」という作品です。
今も刊行されています。
古本もありますのでどうぞ。

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第4回 「人生の皮肉を斜めから見つめる ~『青い壺』~」

1976年から雑誌に連載された連作短編「青い壺」。ひとつの壺が多様な人々を巡っていくことで、独立した短編が有機的に結びついていく巧みな構成の物語だ。2011年に新装版が復刊されるや口コミで評判になり異例のベストセラーに。その秘密は、どのエピソードにも「リアルな人生の皮肉」を描くところにある。幸せが驕りや怠慢などによって不幸せに転化し、不幸せだと思って引き受けたものが幸福をもたらしたりもする。第四回は、「青い壺」のブームに一役買った作家の原田ひ香さんをゲストに招き、一筋縄ではいかない人生を、さりげなく、しかし深い味わいで描いていく有吉作品の魅力に迫っていく。放送日: 2024年12月23日(月)

グレース
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最後はちょっとほっこりするエピソード満載の「青い壺」です。
13編によるストーリーは青い壺の持ち主が変わる事でドラマが展開します。
それぞれは独立したお話ですのでどこから読んでも大丈夫です。
ただ、全編読むと「つながり」が分かって楽しい作品でもありますよ!

青い壺の行方

青い壺の持ち主の変遷
  • 1 牧田 省造
    青い壺を作った陶芸家
  • 2 山田 千枝
    定年退職したサラリーマン寅三の妻
  • 3 原芳江
    お見合いの仲人をする副社長の妻
  • 4 芳江と雅子
    遺産相続について話し合う母と娘
  • 5 千代子とキヨ
    東京で働くキャリアウーマンと目に障害のある母
  • 6 梶谷 洋子
    夫と小さなバーを営む初老の「ママ」
  • 7 石田 春恵
    戦時中の思い出を語る外交官の妻だった老女
  • 8 石田厚子
    夫とレストランでディナーを楽しむ女性
  • 9 弓香
    女学校の同窓会に参加する70代女性
  • 10 悠子
    ミッションスクールで給食栄養士として働く20代女性
  • 11 悠子とシスター・マグダレナ
    悠子を小学生のころから知るスペイン人修道女
  • 12 森 シメ
    還暦を過ぎた病院の掃除婦

さて、このラインナップを観てどうですか?
1976年の時代背景を考えるとこれも分かりやすいかと思います。
戦争が終わったのが1945年。
この時代の大人たちは皆「戦争」を体験しています。
そういう人たちが、時代の変遷と少しずつ豊かになっていく日本の中で起こるちょっとしたエピソードがちりばめられています。
この青い壺の持ち主が変わる事でその持ち主のドラマが始まります。
今回の指南役の先生は「青い壺=有吉佐和子自身」という面白い解釈をしています。
皆さんはどう思われたでしょうか?

どうしても知りたい人は自己責任で!

青い壺の最後の持ち主を知る事でこの作品の醍醐味は分かると言って良いかもしれません。
ただ、有名すぎるエピソードなので知っている人は知っているというネタなので、どうしても知りたい人は下記をクリックしてください。