100分de名著~忘れられた日本人~宮本常一

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「忘れられた日本人」離島や都心とは離れた地域で暮らす人たちの文化を民俗学を通して見つめた作品です。
著者の宮本常一の多大な足跡は膨大な書籍となって今も残りました。
今回紹介されるのはほんの一部です。
全4回・感想を書いていきました。
目次からジャンプできます。

名著140「忘れられた日本人」宮本常一 - 100分de名著
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「民衆史」「生活誌」という独自の概念を生み出し、戦後の民俗学や歴史学に決定的な影響を与えた宮本常一(1907-1981)。柳田国男、折口信夫と並び称される民俗学の巨人です。宮本が20年来の研究の傍らで取りこぼした聞き書きを編纂し、彼独自の民俗学のあり方や方法を示した代表作が「忘れられた日本人」(1960)です。ここ数年、宮本常一についての様々な研究書や読み物が相次いで出版され、一般の人々の間でも関心が巻き起こっています。そこで「100分de名著」では、代表作「忘れられた日本人」を読み解き、奥深い宮本の思想に現代の視点から新しい光を当て直すことで、私たちの根底にある「生活意識や文化」をあらためて見つめなおします。

宮本常一は、日本列島をすみずみまで歩き、多くの人々から夥しい数の話を聞き取りました。列島各地の歴史や事情に精通し、農業、漁業、林業等の実情を把握することで、その豊かさや価値、問題点を明らかにしていったのです。そうした調査の中で、宮本は、出会った物象の底に潜む生活意識や文化の奥深さに触れることになります。彼は、既存の民俗学の方法だけでは、そうした事態はとらえきれないと考え、紀行、座談、聞き書き、随筆など、さまざまな手法を用いて、民衆の生活意識や文化を浮かび上がらせようとした。その試みの集大成が「忘れられた日本人」という書物なのです。

この書物を読み解くと、伝統が色濃く残る集落には、「寄合」「共助」「世間師」など、現代社会が失ってしまった共同体運営の知恵にあふれています。また、ごく日常的な営みにも現れる日本人ならではの感受性が歴史を通じてどう育まれていったかを知ることもできます。いわば「忘れられた日本人」は日本人の心性の原点を探りだす著作なのです。

民俗学者の畑中章宏さんは、「忘れられた日本人」を現代に読む意味が「近代化の中で表面的には忘れ去っているようにみえるが、無意識のうちに我々を規定している生活や文化の基層に触れることができること」だといいます。畑中さんに「忘れられた日本人」を現代の視点から読み解いてもらい、「私たちは何者なのか」を深く考えていきます。

【MC】伊集院光/安部みちこアナウンサー

https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/blog/bl/p8kQkA4Pow/bp/pzX9kL8axW/

第1回 もうひとつの民俗学

(1)もうひとつの民俗学
初回放送日:2024年6月3日

柳田国男が創始した民俗学の流れに沿いながらも、宮本常一は新しい形の民俗学を立ち上げようとした。その特徴を一言でいえば「もの」を入り口にすること。

宮本常一の民俗学には、ある独自性がある。柳田国男が目には見えない民間伝承、民間信仰を元にして「心」を手掛かりに日本人を明らかにしようとしたのに対し、宮本は、風物、技術、生業、慣習、日常のさりげない行為、民具など、目に見える「もの」に注目することで、民衆の生活意識の根本を明らかにしようとしたのだ。第一回は、宮本常一が立ち上げようとした「もうひとつの民俗学」の構想を明らかにしていく。

https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/1G94W3X9X6/

略歴

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全国に取材を行った方で戦後には外国への調査も初めてなさった方です。
その足跡は膨大すぎてこちらで紹介しきれないほどです。

概要注目点
1907(明治40)年山口県大島郡(現·周防大島町)に誕生農家の出身
1924(大正13)年15歳で大阪に出て郵便局員になる 
1927(昭和 2)年尋常小学校·高等小学校の教員を歴任 
1930(昭和 5)年柳田国男編『旅と伝説』に文章が初めて掲載される 
1939(昭和14)年渋沢敬三主宰のアチック·ミューゼアムに入所渋沢敬三は渋沢栄一の孫にあたる
 研究所員として全国各地の民俗調査を行う 
1945(昭和20)年大阪府嘱託として各地で農業指導を行うこの時期に空襲に遭い、戦前の資料は失われてしまう
1950(昭和25)年八学会連合の一員として対馬を調査 
1953(昭和28)年全国離島振興協議会に従事 
1960(昭和35)年『忘れられた日本人』刊行(1958年『民話』創刊)今回の名著
1965(昭和40)年武蔵野美術大学教授に就く 
1980(昭和55)年郷土大学(東和町)発足 
1981(昭和56)年73歳で死去 

感想

宮本常一。
民俗学で伝承やそこに住む人たちへの思いを研究したという感覚で良いのでしょうか?
単に古いモノという所に留まらないのです。

オシラサマという棒に着物を着せたその地方の信仰についても考えさせられました。
私はこれを最初に観た時に「不気味なお雛様」というような印象を持ちました。
また、この番組内でも着せられたその衣裳(着物)は化学染料で染められている事が紹介されました。

「化学染料」と聞いて私たちどういう感想を抱くだろうか?
番組内で伊集院さんが言われた通り、あまりよくないという印象を持った人が多いのではないだろうか?
私もそうでした。
でも、ここでは「化学染料は当時の人達にとって一番いいモノだったからオシラサマに着せた」という真実が明かされたのです。
化学染料が良くないというのは私たちの今のバイアスであって、当時の人達にとっては
「憧れの最高級のモノ」であったのです。
そして、大事なオシラサマには当時の人達が一番良いと思っていたその「化学染料」が使われたという事なのです。
こうなれば意味合いは全く違ってくるのです。
こういう地道な研究が真実にぶち当たったのです。
私が知る由もなかった事です。
その立場にならなければ、真実は見えてこないという事をまさか民俗学で再認識するとは思いませんでした。

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また、この本の中にはいろんな知識人が出てきます。
それは多くの場合、地元のお爺ちゃんやお婆ちゃんです。
名もない市井の人達のよもやま話が民俗学に寄り添って行きます。
これからが楽しみです。

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第2回 伝統社会に秘められた知恵

宮本常一“忘れられた日本人” (2)伝統社会に秘められた知恵 - 100分de名著
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宮本常一“忘れられた日本人” (2)伝統社会に秘められた知恵
初回放送日:2024年6月10日

「寄合」「子どもさがし」「女性たちの相互扶助」。まだ伝統や慣習が色濃く残っている集落には、人々の絆を保持し、納得のいく形で方針が決定される仕組みがある。

民俗学者・宮本常一が注目したのは、何日も何日も話し続け反対意見や不満を全て吐き出させることでみんなが納得できる落としどころを探っていく「寄り合い」だった。そこには私たち現代人がよってたつ民主主義システムが失ってしまった知恵があふれている。第二回は、地域社会に根付く「民俗的システム」がどのようなものなのかを明らかにし、効率性の名のもとに現代社会が見失ってしまったものを浮き彫りにしていく。

https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/B1ZVGXWLRM/

感想

対馬でその地域に伝わる本を写すために貸してほしいと頼んだことから、思わぬ地域性が見られます。
まさか、「本を貸す」というそれだけの為に、その地域に関わる人たちが舟を使って行き来しなければならない人を含め、関係者が集まり、吟味しだしたというのです。
最終的に結果が出るまでは何日もかかり、「一日だけなら」という条件で貸し出されます。

この条件を伝えた時の地域の人々は何と羽織袴の正装です。
何と非合理的で効率の悪い方法でしょう!
再確認しておきますが、「本を貸してください」という事だけでこれだけの大騒動になったのです。

この非合理的な方法は実は効率的だと言います。
その地域のルールを守るという事も大事なのですが、ここまで徹底して「全員の総意」という言事であれば、後になってもめる事はないのです。

まさか、ここまでの非合理を合理的という感覚でとらえているとは宮本先生のお考えも常人を超越しているなと思いました。
ただし、こうなったのも宮本先生が勝手に本を写しとる事も出来たはずなのに「貸してほしい」とその地域の人達に確認を取ったという事が始まりです。
もし、これを勝手に写し取っていたなら、宮本先生を助けようとするその地域の人々はいなかったでしょう。
また、この時に対馬の人達のよもやま話を聞く事が出来たのも、こうやって地域の人達のルールを尊重した事から得られた情報と言って良いのではないでしょうか?

非合理的な「寄り合い」とやたらに時間がかかる協議。
これで全員が「良いよ」と言ってくれたら後味は悪くないのです。

こういう事は盲点でした。

地域社会でここまでの密着度だとその地域の人の顔も家族構成も共有されているわけです。
もう監視社会のようで嫌だと思う人も多いかもしれません。
ここで指南役の畑中先生は「災害の時」はこういった地域性が強みであるとも言います。

詳細は紹介されませんでしたが、まさにその通りです。
私自身も幾度かあった災害で思った事なのですが、地域社会が密接にあるところの方が大きな災害であっても生存率は上がります。
それは、「○○さんの家は何人家族」
「おばあちゃんはいつも居間に寝ている」
そういった情報があるからこそ、助けられた命がたくさんあったという事も事実です。
今になるとこういうことはプライバシーと言われ難しい部分もありますが、地域の一人として回覧板を渡したり地域の自治会くらいはあってもいいかなと思いました。

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もちろん、踏み込み過ぎず、境界を越えずという事も大事ですが、ご近所への挨拶くらいから始めても良いように思います。

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第3回 無名の人が語り出す

宮本常一“忘れられた日本人” (3)無名の人が語り出す - 100分de名著
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宮本常一“忘れられた日本人” (3)無名の人が語り出す
初回放送日:2024年6月17日

宮本常一が光を当てようとするのは常に「無名の人」。文字を知らない庶民や業績を残したことがない人々ら歴史の片隅に追いやられた人たちが、彼の手で鮮やかに描かれる。

従来の歴史学では、庶民はいつも支配者から搾取され反抗のみを繰り返してきた、貧困で惨めな存在として描かれてきた。しかし、「大きな歴史」は、文字によって記録に残されていない「小さな歴史」によってこそ成り立っていることを私たちは忘れてしまっていると宮本はいう。第三回では、宮本常一の「無名の人」に関する聞き書き、論考から、私たちが「進歩」の名のもとに切り捨ててきた「もうひとつの日本人たち」に迫っていく。

https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/R51LW9R8ZG/

感想

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「土佐源氏」と「名倉談義」について語られました。
この二つとも古老の名もなき人たちが語る話です。

「土佐源氏」というのはその名の通り、土佐(高知)の出身の老人です。
今は橋の下で暮らす浮浪者となっていましたが、若い頃は嫁がいても他の女性とも仲良しです。
浮気していた女性に死なれ、自分は視力を失ってしまった後で受け入れてくれたのはまさかの嫁でした。
でも、この男性は取材当時は既に橋の下の浮浪者なのです。

この流れについて指南役の畑中先生は色んな人の複合的な話を取り込んだ創作ではないかというのです。
モデルはいたけれど、一人の人間の事ではないという説を呈します。
話を脚色して物語風に取り込むことで民俗学としての深みがあるのかもしれません。
また、今、聞く私たちもこういう一見荒唐無稽な話に落とし込むことで当時の風景が想像しやすくなるのかもしれません。

大阪の釣鐘町での出会い
証券取引所や繁華街があるほんの少し先の所では家を持たない人や30代を超えても字も読めない人たちがいました。
ここで、貧富の差の現実に宮本は直面します。
その人たちの話を聞くという事がこの本「忘れられた日本人」の原点であった事がここで明かされます。
読み書きの出来ない人たちの話は宮本自身がインタビューして文書に残しておくしかありません。
かと言って、使命感というよりは人に寄り添うという感覚がとても良いと思います。

名倉談義(なぐらだんぎ)は古老の人達が語るお話です。
遅くまで一軒の家の明かりがついている時にその前の畑で仕事をしている人がいたのです。
明かりがついているおかげで夜遅くまで働く事が出来たのです。
でも、明かりをつけていた方は畑で仕事をしているうち間は明かりをつけていたのです。
つまり、お互いに知らない所で相互扶助をしていたのです。
暖かなお話です。

押し付け合いでもなくて普通に助け合う。
そして、老人となって「あの時、実は…。」なんて話で、ほっこり。
聞いている方も感動します。

もう一つは出征に出た息子が帰ってきた事で紫の煙がたったという話です。
これは戦争に行った息子が帰ってきて今まで煮炊きも出来ないくらいの家が煮炊きが出来るようになったという事なのです。
つまり、生活に苦しんでいた人が生活できるようになった。
これを近所の古老の人が語るのです。

大変だけれど、直接的に援助するわけでもないけれど、何となく近所の人が気にかけている。
そういう他愛もない話が今回語られました。

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第4回 「世間師」の思想

宮本常一“忘れられた日本人” (4)「世間師」の思想 - 100分de名著
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宮本常一“忘れられた日本人” (4)「世間師」の思想
初回放送日:2024年6月24日
宮本常一が対象にした共同体は旧来の説のように固定的で閉鎖的なものではない。外部からもたらされた知が既存の知と入り混じりダイナミックに変貌にしていく動的なものだ。 かつての日本では「世間師」を呼ばれる人たちが集落に存在し「旅」を通じて新たな刺激や知恵を集落にもたらしてく仕組みが働いていたという。その営みは、宮本自身が民俗学という学問を通じて実践しようとしていた、地域社会を豊かにしていこうという営みとも重なり合う。第四回は、「世間師」や「伝承者」と宮本が呼んだ人々が共同体にもらたらした豊かなものに迫っていくとともに、宮本が民俗学を通して何を実践したかに迫る。

https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/G6R42K58Y4/

感想

世間師とは世間体とかそういう事ではなくて自分が生まれた故郷から移動して外の世間を渡り歩いてきた人の事をここでは言います。
色んな各地の事や他の社会の事を知っている人の事を言うのですね。

世間師とは?
自分が生まれた故郷から移動して外の世間を渡り歩いてきた人

自分自身が離島の出身で閉鎖的な空間から抜け出してきた宮本常一にとって「外の世界」を知る事がとても大切だったのです。

膨大な資料や自分自身が「足」で稼いだその記録は非常に膨大なものでその著作量にも比例します。
残念なのはこの膨大な資料でさえ、一部だという事です。
実は戦争で多くの資料や書置きを焼失してしまっているのです。
そう言った事を鑑みてもこれだけの著作が残っているという事は奇跡的だと思われます。

番組で紹介された「島の女の子たち」が島の外(世間)を知るために女子たち同士で情報交換をして奉公に出て大阪などの都会に行って遊ぶというのです。

これは今で言うとちょっと田舎の女の子達が都会の良いアルバイト先で働いてお小遣いをためて好きなアイドルを追っかけたり、海外旅行に行ったりなんて言う感覚と似ているように思いました。

この時代は同じ日本国内でも違う所に行けば「言葉や習慣」もまるで違います。
今で言う外国と同じです。
こうやって、一つ場所を違えば「言葉さえ違う」という事を世間に出なければわからないのです。

「違う事を知る」ここに原点があるように思いました。

宮本常一は民俗学という域を超えて離島の自立的発展や定住を促進させるために尽力しています。
リアルに体現するために政治的な事にも踏み込んでいたリアリストでもあるという事でこのテーマは結ばれました。

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離島で過疎や衰退に苦しむ人たちに自分たちの文化を誇りに持ってほしい。
そう言うメッセージを受け取りました。
皆さんはどう思われましたか?